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[コメント] 風の谷のナウシカ(1984/日)

ウチでは何かが腐ると「腐ってやがる・・・早すぎたんだ」「焼き払え!」と口にするのが習わしになっている。余談はさておき、口にすれば分かるが、前者は実に変な台詞なのだ。しかし、優れたSFには必ず、その世界でのみ圧倒的なリアルを発散する台詞が登場する。これだけの世界観の充実に神業的演出をかぶされると、マジで漏れちゃう。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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登場人物で誰が好きかと問われれば、迷わずクロトワさんと答える。何と公式には彼は27歳らしい。ちなみにムスカさんは28歳だそうだ。んなアホなと思うが、どちらも大好きです。

さて、超人的メシアであるナウシカの「サクリファイス」と「復活」を契機とした予定調和な和解の終幕は、むしろその非現実性ゆえに、「こんなメシアなど現れないのだから、つまり人間とは救われない、融和できない生物なのだ」という反語的な絶望の表明とすら解釈可能だ。これは確かに変な映画かもしれない。(「世界は偉人達の水準で生きるわけにはいかねえからな」押井守イノセンス』)

しかし、仮にそうだとしても、まさにその「絶望」から始めるところが真摯なのだ。ユパが風の谷に帰還する序盤、わずか15分程度を最後に、文字通りの修羅場が終幕まで続く容赦のなさ、憎悪のデフレスパイラルや、善悪の相対化されたグレーゾーンでの足掻きはやはり全面的に支持したい。エコというテーマよりも、この終盤までの、正解のない争いの描写にみなぎる気合いに打たれる。善悪がどうあれ、足掻き続けること。それしかないのだ、という覚悟。

その熱さは救いをもたらす一方で、愚かさと紙一重でもある。特に今観て打たれるのは、「ペジテの誇り」を口にして、子どもも巻き添えにして自決しようとするペジテ難民船の描写だ。これは恐ろしいシーンである。その中でこそ現実に訴求するドラマが生まれる。

ナウシカも、「救うためには時には殺さなければならない」という矛盾した局面に幾度となく直面し、「血まみれた勇者」もしくは「聖なる殺人者」としての自覚のもとに救い、殺すことになる。単純な優等生とは言いがたいこの造形は、現代の映画としての要件は十分に満たしており、今なお新しさを失っていない。鏡としてのクシャナの造形が原作に比べ中途半端なのが残念(何故か虚無的過ぎる)だが、やはりギリギリの着地点を見定めて成功していると思う。

あと、一つ美点として挙げたいのは好悪にかかわらず、破壊と死は時に美しい、という暗黒面に嘘をついていないところだ。こういう宮�啗さんはカミソリのようにキレる。むしろこちらが本質なのではないかとさえ思う。アスベルに撃墜されるトルメキア艦隊が吹き上げる炎と、空の残酷な蒼のコントラスト。ナウシカがトルメキア兵を惨殺する一種の快楽リズム(島本須美さん、グッジョブ!)。漏れそう。これだ。私は光だけを語られると、「こいつは信用ならんな」と思うのだが、ここでの監督は光と影の両方を描くことに妥協がない。そして、少しだけ光の側を信じている。これは原作の「生命は闇の中で瞬いて消える光だ!」というナウシカのテーマを集約した叫びとも矛盾しない。

そして何より、これはやはりアクション映画の最高峰として支持したい。カッティング、緩急のキレが異常だ。漏れそう。アスベルのガンシップ×ナウシカ×コルベットが交錯するシーン。巨神兵が地平線をなぎ払う際、ぱっと一瞬跳ね上げられる王蟲のシルエット。爆発演出。言われてみると確かに庵野秀明のセンスなのだが、やはり幸福な出会いだったのだろうと思わせる。

そして、監督の作品群のなかでも、「音」への感覚が研ぎ澄まされている。声優の名演のみならず、久石楽曲のとがり方はおそらくMAX値だろう。トルメキア艦隊全滅→脱出→腐海突入シーンの楽曲!このバイオな超未来感。会心の一曲だと思う。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)寒山拾得 緑雨[*] けにろん[*]

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