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[コメント] ハッシュ!(2001/日)

「なんで、絶対、なんて言えるんだよ・・・!」と田辺誠一が絞り出すように発する言葉で思い出したのは、「あなたはすぐに絶対などと言う。私は、すごくそれを嫌がるの」という椎名林檎の歌だった。奇しくも制作年は2000年〜2001年、価値の混沌、ゼロ年代の始まりに符号していた。当時18歳で、以来、絶えず「絶対」という概念に「違和感」を感じて生きている僕には、この二つの作品は永遠に福音である。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「絶対」的なものの失われたゼロ年代以降、時代には無数の選択肢が転がっている。その茫漠とした可能性の広がりが、自由というよりはかえって足枷のようにも作用する。世界の何もかも自分と肌が合わない、選択して生きるのが面倒と感じるのも自由だし、椎名林檎がまた歌うように「好きな人やものが多すぎて、取り残されてしまいそう」にもなる。その大きさは、本作の終盤で象徴的に登場する河のようだ。

「傍目にはなんとなく生きてはいるが、なにものをも否定も肯定できず、違和感を抱え続け、しかも本当は肯定するきっかけがほしい」という心情は傍目には意外なほど苦しいものだ。本来、「絶対的」なものに縋った方が楽だ。かといって「絶対」が死んだ世界に何を拠り所にしたらいいのか。世界は広すぎる。一方で本作の主人公達は小さすぎるのだ。

そうした小さな主人公達がすがるのは、あくまで当たり前な、ちっちゃなちっちゃなぬくもりと違和感の共有だけだ。違和感を共有するもの以外には不可解な関係かもしれない。でも愛のもとをただせば、普遍化できるものなど一つもない。それを肯定するか否定するかではなく、彼らは彼らとして単にそう在るだけ。

「いきものにさわるっていいね」という台詞や、クリーニング屋に寄った帰りに買う大学芋、浮き浮きして洗っちゃう三角コーナー、むくれて食べるアイスクリーム、引っ越し直後の汚くて狭い部屋でつつく鍋。単純なことだよ、と監督は言う。ただ、彼らには困難な単純さかもしれない、とも言う。

「スポイト」は三人の、個人的な、困難な、しかしあたたかいぬくもりの誓い。彼らに本物の「赤ちゃん」を作る選択肢はないかもしれないが、それは実のところ分からない。不誠実でもない。あくまで「個人的」であるために、僕の「違和感」もかえって癒やされていくように思う。ゲイということではなく、僕は現にちっちゃなぬくもりと違和感の共有で生きている。

それでいいのだと思う。最後はバカボンのパパみたいだが、本当にそう思う。 そういった確信を与えてくれるこの映画は、この先もずっと、僕の福音である。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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