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[コメント] GO(2001/日)

日本映画として描くからこそ問題提起が深く響くのだと思う。
deenity

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







何度か鑑賞していますが初めてちゃんとレビューします。本作は窪塚洋介が最高にかっこいい映画でして、若き頃の柴咲コウが最高に可愛い映画でして、そんな二人の恋愛映画なんですが、それ以上に深いメッセージをはらんだ映画でもあるんです。

正直いろんな作品を見てきたが、日本人にもわかりやすい差別を描いた映画としてこの作品を上回る作品を知らない。 在日。その言葉の意味を特に知らずに生きてきたが、言われてる側からすると「いつか日本を出て行くよそ者」と言われてるように思えるらしい。 なんでそう言われるようになったかって言ったら、戦後のいざこざがあって生活保護が何やらで、と今まで耳にしたことがある程度の知識しかなく、はっきり言って今の世代の自分たちに「在日批判だ、ああだこうだ」なんて言えるほどの感情を持っている人は少ないだろう。

でも問題なのは、そういう意識してない人にだって意識に根づく差別はないか、って話。在日だと自白されて、「あ、在日なんだ。」とちょっと壁でも感じちゃうようならばそれはもはや何も意識してないとは言えなくて、自分はそんなつもりないよ、って言ってもそれは所詮意識してないつもりなだけであって、当の本人達からしたらちょっとしたことで傷つけている可能性もあるわけで。 感覚として根づく差別は言葉通り根を張って居ついちゃってるわけで、簡単には変えることはできない。 だからこそこういう映画を見なきゃいけない。たぶん根づいた意識を根から枯らすことは相当難しい。たぶん無理に近い。でもそのしょうもない偏見の草をこういう映画を見ることでむしり取っていくことはできる。このグローバル社会と謳われる現在、本当にグローバルに関わっていくためには必要なことだと思う。

主人公の杉原は在日朝鮮人で、日本語を話すことができるが朝鮮学校に通い、だからって朝鮮人のプライドなんか20円で売っちゃうような奴で、父親に「広い世界を見ろ。自分で決めろ。」と言われて簡単に朝鮮人から韓国人に変更しちゃったりして、それで日本の学校に通い始めて、クラブに行っても読書とイヤホンで落語を満喫しちゃうような奴。あだ名はクルパー。冒頭から暴れ散らしているけど一種の自己防衛で、自分という円に入り込んで来る奴を殴り飛ばしているだけだ。

彼は自分が朝鮮人とか韓国人とかどうでもいいと考えている。友達のジョンイルが殺されても復讐には行かないし、在日の二世である父親が弱みを見せてるのを見ても「ダッセェー!」とか言っちゃう。 自分が朝鮮人とか韓国人とか、二世とか三世とかどうでもいい。俺は俺だ。

だから朝鮮人としてのプライドを持つ先生に刃向かうジョンイルを尊敬するし、そんなジョンイルの夢が「将来は朝鮮学校の先生になって変えていきたい」ということを嬉しそうに周囲に語るのだ。

でも世間では偏見は根強い。本人がどう思おうが朝鮮人の魂を捨ててようが在日というだけでの差別は消えない。ジョンイルが命を落とすのもまた差別を救おうとしたがためでもある。 ジョンイルから最後に借りていた本。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の一文。 「名前って何?バラと呼ばれる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」 そこに印をつけて「読んでみてよ。クルパーは気にいると思う。」って言ったジョンイルのことを思うと悔しくて目頭が熱くなる。

柴咲コウのポジションはまさにその典型。あんなに関係を深めて、お互い思い合っていたにも関わらず、どうして国籍を打ち明けただけで関係が崩れるのか。「血が汚れてる」わけないだろ。 …でも、意外と日本人にはそういう傾向が顕著なのかもしれない。

だから最後の杉原の叫びはグサッと来る。対人間で見たらその人はなんら他の人と変わりないのに、勝手に名前をつけられただけで自分から名乗ったつもりなどないのに、差別される。その爆発。 「あの目を好きになった。」というのも良かった。

恋愛映画であるが人権映画としても最高の作品である。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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