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[コメント] 小さな中国のお針子(2002/仏=中国)

下放を体験した原作者=監督による下放政策の回想で辛辣。温い両論併記を観せてもらう映画ではないし、お針子だから手籠めだろうといういい加減な展開の映画ではさらにない。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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過去を今ここの出来事と切迫感を持って描くタイプの映画もあれば、過ぎ去ったことだと回想するタイプの映画もある。本作は後者である。マオイズムはもう過去のことと、勝利宣言をしてからの製作であるという事情を映画は隠そうとしていない。

だから全編にそこはかとないユーモアが漂っている。反動分子の歯を治し「蒋介石の歯型を取った」歯医者の息子につき再教育。「反動階級」と呼ばれる。肥を畑へ運び、すぐにひっくり返す。ヴァイオリン没収されないために曲名を偽る「モーツアルトの毛首席を想って」。時計を知らない娘たちに解体される目覚まし時計。飛行機だけで知る文明と粘土の飛行機模型(この小物は再活用されなかった)、無理矢理乗るヒッチハイク、魂祭りに水面に浮かべられた舟に名前探す件。主演の兄弟に美男ふたりが並ぶのは本作の際立った特色で、お針子(ジョウ・シュン)との関係が三角関係にならないのは、それぞれ自分に自信があるからのように見える。

中絶ですら西洋の技術的勝利と位置づけられるのだろう。それは村長の滑稽な虫歯抜きや、枝で背中打つマラリア治療法(これだけは悲惨なことだと描写される)と対照を示している。

姉妹ベッドで「世界が変わった」と叫び、モンテクリストが引用される。「哀れなクリストフよ、自由である恍惚感を知らないとは。そのためならな労苦も惜しまない。自由とは、周囲の全ての精神が、愚か者も含めて、自由と感じること。それこそ形容し難い喜びだ」別れにお針子は君を変えたのは、の問いに「バルザック」と答える。彼女は香港へ去る。それはいい人生に違いない。

劇中「花売り娘」というタイトルで紹介される北朝鮮映画は邦題『花を売る乙女』で、DVDで観られる(ずいぶん昔に登録申請したのだが未登録)。この件は、北朝鮮は今でも毛沢東時代だという告発だろう。映画は北朝鮮への、本作のような啓蒙の到来を待望している。

最後にこの美しい村はダム化により揚子江に沈む。映画はこれを淡々と描く。下放の記憶とともに、村が湖底に沈むのは悪くないと取れる水没のラストだった。しかしどうだろう、とは思ってしまう。確かにマオイズムは行き過ぎだった。しかし近代化が進み過ぎてこの農村の光景を全て消し去るのは、マオイズム否定の近代化路線を逆に突っ走り過ぎではないのだろうか。中庸の徳という地点は見つけられないものなのか。中国は両極端に振れ過ぎると思わされた。

(評価:★4)

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