[コメント] 最後の審判(1965/日)
演出も撮影美術も『黒い画集』の好調がキープされているんだが、これほどホンが駄目ではどうしようもなかった。大仰なタイトルは鼠一匹の感想を惹起するばかり。「お座敷小唄」が頭から離れなくなるのは美点と云うべきか。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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仲代の動機がどうにも詰まらない。淡島千景への恋慕も須賀不二男への反抗も平凡である。ただ、動機は学生チャンピオンだったビリヤードへの愛情だったのだ、ヤクザと抗争までしてもあの店が欲しかったのだ、と取ればやや琴線に触れる処がある。
実際、本作で面白いのは仲代の加藤武のヤクザとの関係である。吉村実子ほかみんながヤクザから逃げろ逃げろと云う。所有者の三島雅夫の駆け引きはヤクザとの長年の付き合いから出るものなんだろう。こんな物件のために殺人まで犯す仲代の、将来計画のなさは酷いものであるが、そこに拘りを見てもいいだろう。
しかしそれなら、フランス料理屋に改装するなどという企画を語り始めるのは大いに蛇足だった。彼は結局は平凡なチンピラに過ぎないのであり、その割に犯行の悪知恵が出来過ぎという違和感ばかりが残る。そして収束は致命的に退屈、スカしているだけである。
仲代はさすがの好演だが報われなかった。伴淳の刑事はいつも格好よく、2カットだけ登場の東野英治郎は驚き。パチンコ屋で「お座敷小唄」ばかりかけている三島の奥さんが登場しないのはいいギャグ。硝煙反応は当時まだ新しいネタだったのだろう。65年でまだ該当でテーブル出して新聞売っているのは個人的に発見。
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