コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] この庭に死す(1955/仏=メキシコ)

「宣教師の後には必ず悪徳商人」
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ブニュエルの経歴中、メキシコ期とヨーロッパ資本期の端境期に位置する作品、ということになるのだろうか。比較的明快で、前者の面白さと後者の難解さが見通せる作品になっている。

ブニュエルは重要な事柄を事のついでのように語る。この作品で最重要なのは、神父ミシェル・ピコリの腕時計がノール精油会社からの寄贈品だと明かされるやり取りだ。だから後段でピコリの善行は、「宣教師の後には必ず悪徳商人が来る」と非難されることになる。本作の影の主人公は精油会社であり、彼等の圧力で政府は山師たちを排除していると知れる。後期ブニュエルの三大テーマと云うべき「善意のはずの布教」「悪徳商人」「失敗する叛乱(テロ)」が、判りやすく顔を揃えている。その後の作品では、もうこれらはもう説明済みとばかりに、解説は繰り返されないだろう。

タイトルの「庭」はキリスト教圏ゆえ当然にエデンの園であり、だから最後にそこから出て行くジョルジュ・マルシャルミシェル・ジラルドンはアダムとイブだ。この見立ては間違っていまい。原典と比較すればブラックユーモアの所在が仄見えてくる。五人にとって「庭」はなぜジャングルという地獄なのか。墜落した飛行機が救済であるとはどういうことか。二人は逃走したのだが、実は追放されたのではないか。人間にとってエデンの園は、耐え難い場所なのではないだろうか。

殆どシーン毎に発言の変わるシモーヌ・シニョレのビッチ振りは猛烈で、マリアという名の無垢なミシェル・ジラルドンとの対照は、そのまま『昼顔』の世界に通じる。マリアが冒頭の酒場で慣れない靴を履いているのは、飛行機の遺品を身にまとう所作で反復されている。銃声一発で蹴散らされる叛乱者たち、目覚めると横にいる娼婦、元に戻るジャングルの迷路など、ブニュエルらしい即物的な無限の描写の積み重ねが、呆気に取られるラストへと収斂している。なかでも忘れ難いのは、突然に現れるパリの夜景がシャルル・バネルの眺める写真に納まるショット。彼の発狂はつまり何だったのだろう(ジョルジュ・マルシャルとシモーヌ・シニョレの逢引を彼が目撃していれば話は簡単になるがそのような描写はない)。ひょっとすると、パリで食堂を開くという物欲の夢は、「庭」では忌み事だったのではないだろうか。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。