コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 彼女について私が知っている二、三の事柄(1966/仏)

鬼面人を嚇す体裁、その実ベタなほど赤裸々な孤立と孤独の表白。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







およそ映画的な表現とは隔絶した殺伐たる映像が、子供の泣き声、ピンボール、飛行機、建設工事の騒音など、ありとあらゆる雑音に見舞われる。登場人物たちの独白は点景に留まり、いつもの喧嘩も始まらず、革命も愛もない。ゴダールは孤独な人だと云われるが、それが剥き出しになった作品だと思う。速記試験に落ちちゃって、と語るパーマ屋のお嬢ちゃんの独白など、なんの捻りもなくただ寂しい。「未来など信じないの」。

娼婦が主人公であるのも、喫茶店で男女が「誠実」を語るのも『女と男のいる舗道』の反復だが、マリナ・ヴラディはB級映画とともに頓死もできず、無関心(私を一言で表現すれば「無関心」)に中年太りの身体を晒している。

珈琲の泡を星雲に見立てて、ヴィトゲンシュタインなど引用しつつ、ゴダールは「意識の目覚め」についてブツブツと呟く。「意識が目覚めれば全てが繋がる」。続いてヴァイオリンの音色とともに、マリナ・ヴラディの「私は世界で世界は私だと思った」という体験が語られる(この科白は最後にも繰り返される)。同じ想いを孤独に抱える監督と主人公。いやあ、ベタだなあ。こんなんでいいのかと思いつつ、感じ入ってしまった。

子役が活躍するのは珍しい。主人公の長男が語る双子の夢(ふたりはひとりになって、それは南北ベトナムだと思った)は哄笑を誘う、本作でほぼ唯一、肯定的な印象が残るのだった。

本作のキモは次のフレーズなのだろう。分析する技量はないので、メモだけしてDVDを後輩に返すことにする。四半世紀振りの再会だった。

「映像と言語がますます干渉し合う。今日の社会を生きることは結局、巨大なマンガを生きることだ」

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)ゑぎ

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。