コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] お早よう(1959/日)

喜劇らしい脇役天国に全編見せ場のテンコ盛り
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







オナラと町内会費と相撲中継、本作はこの三つのネタだけでできている。これを膨らまし膨らまし、息切れなどどこ吹く風と後半になるほどギャグが盛り上がる。意図的なダレ場は2回ある居酒屋の件だろうがここも面白く、詰まらないシークエンスが何とひとつもない。小津らしいカット割りと科白回しによるリズム感の心地よさが90分止まらずに続く。個人的に最高なのは(高橋とよ竹田浩一夫婦のやり取りと、飼い猫が盗んだ魚を返そうとする長岡輝子、近所の不穏さに怯え、軽石に猫いらずを塗ろうと云う三宅邦子及び三好栄子の全てを除けば)島津雅彦のアイラブユーと学校でのOKマーク。ウンコ漏らす白田肇も素敵だ。清水直系の子供使いの巧みさを示して『生まれてはみたけれど』、『淑女は何を忘れたか』と並び立つ傑作喜劇と思う。『麦秋』の唯一の欠点は、同じような子役の反抗が中途半端に終わった点だが、本作はこれをやり直して貫徹させたようにも見える。

山田洋次並に時代背景が克明なのもいい。裏テーマは就職難だ。失業中の佐田啓二とセールスの沢村貞子、セールスマンになる東野英治郎笠智衆が今回黄昏るのは定年に関してというのもこれに絡んでいる。高度成長はまだ生活実感になっていない。あの集合住宅(セットらしいが)のタイプは50年代の映画でたまに見かける(社宅であることが多い)が、いかにも安普請。大河から土手ひとつ隔てた立地という設定で、土地の値段も安かろう(大河を積極的に映すショットがひとつもないのは、これを隠しているように思える)。家屋の間から見える急峻な土手は、ホノボノ音楽で隠されているが『牝鶏』の階段を連想させる剣呑さを孕んでいる。50年代に三種の神器を買うのは相当に早いが、これは相当に無理しているのだ。収束は高度成長賛歌映画と見えてしまうが、この時点の映画をそう呼ぶのはちと気の毒である。

杉村春子が文学座の分裂で世間から叩かれたとき、小津は彼女に「オレガツイテイル」と電報を打った。思想的に小津は保守、杉村は革新系(後年のことだが)であり、何で小津は杉村を使うのだろうと疑問だった時期があったのだが、これを知って失礼したと思った。小津は器の大きな人なのだ。実力があれば白人でも積極的に登用したマイルスのように。福田某や三島某とは格が違うのである。

町内会費事件が克明に描くのは、高橋(「云わなくていいのよ奥さん」)や杉村の、隠微で事なかれ主義な日本的政治土壌だろう。最近では都庁でも富山県庁でも発覚したことだ。これを映画は肯定も否定もしていない。喜劇らしく清濁併せ呑んでいる。しかし案外、作者の本音は、町内を逃げ出す泉京子にあるのではないだろうか。小津の立場は重役だし、厭なことをいろいろ呑みこんだだろう。無意味な言葉のやり取りの尊重という主題(意味のある告白が切り出せない佐田啓二というラストで、これも喜劇的に中吊りにされているのだが)は、意味のある言葉の応酬に疲れ果てた者の動物回帰願望とも取れる。

保守的だというコメントがあったので、過剰反応しちゃったかな。大宅壮一など引用(一億総白痴化)するからだ。しかし日本映画栄光の50年代の最後の年に、テレビを批評しているのは予見的だ(アメリカでは10年前にそうなっているのだから、充分予想できたのだろうけど)。なお、本作の設定は川崎(工場の煙突が望まれる八丁畷駅が出てくる)、すると大河は鶴見川。いつもながらの久我美子の屈託のなさもとりわけ印象深い。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (4 人)3819695[*] ゑぎ[*] ナム太郎[*] ぽんしゅう[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。