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[コメント] シェルブールの雨傘(1964/仏)

母娘の打算の物語
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







カトリーヌ・ドヌーヴの心変わりは許されるのか。私は許されないと思う。子供は彼女のものではなく、ニーノ・カステルヌオーヴォとふたりのものなのだから。周知のとおり日本映画でも第二次大戦物にこういう展開はよくあるのだが、大抵は戦死の報(誤っていたりする)が間に挟まれており、これがない場合は非道な女という烙印が押されることになる。当然だろうと思う。フランスの法律がどうなっているのか知らないのだが、もし倫理的にドヌーヴが保護されるとしたら、ふたりが未成年者であったという点においてなのだろうが、そこの処、説明がないのでよく判らない(ただ、男が戦争で戦っている間に間男した女は許し難い、というニュアンスが全然ないのは、アルジェリア戦争に大義がなかったと間接的に主張している訳で、これは正しいと思われる)。

上記の理由で本作が嫌いだったのだが、世間スレした中年になって見直して、少し感想が変わった。本作は母親アンヌ・ヴェルノンの打算の物語、更にはこの母娘の(反発を含んだ)共犯関係の物語なのだろう。この若い母親の目線は明らかに宝石商のマルク・ミシェルを愛しており(経済的に裕福な処も含めて)、これを娘に押し付けている。そしてドヌーヴはこれを受け入れる、というブニュエル張りのドロドロがこの第二部には確かにある。彼女がカステルヌオーヴォと別れたときに「何で死んでしまわなかったのだろう」と、窓に頬を押し付けてボンヤリ思案する件が本作のベスト・ショットだろう。彼女は、恋に死ねなかった自分には打算の道しか残されていないと突然に知るのだった。

カステルヌオーヴォの再生の物語が語られる第三部は駆け足過ぎる(エレン・ファルナーは私見ではドヌーブより美女であり、そんな上手く行くもんかという感想)のだが、この果てにドヌーヴを並べるエピローグは絶妙に巧く納まっている。母親を失った(あの若さなのだから決してよい死ではなかったはず)ドヌーブの隣に夫の姿はなく、雪道でベンツを女だてらに運転させられているのは幸福の図ではあるまい。単に哀しい一瞬の再会ではなく、最終的に映画は、倫理的にカステルヌオーヴォの肩をもったのであり、ドヌーブの打算は断罪されたのだ。そんな具合に受け取った。というか、そう受け取らないと相変わらず間尺に合わない、という感想。極彩色の映画が最後、雪景色のモノクロで終わるのがいい(ナム太郎さんのご指摘に感服)。出資したのだろうエッソのロゴ使い過ぎだが。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)動物園のクマ[*] けにろん[*] disjunctive[*] 水那岐[*]

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