[コメント] 祇園囃子(1953/日)
話は平凡な花柳小説だし、撮影はステディでシネフィル好みの狂ったような構図や長回しはもうない。それでもさすがミゾグチという充実感があるのは、俳優から色んなものを炙り出す演出によるものに違いない。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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浪花千栄子と菅井一郎の丁々発止は、作品を一流の政治映画にしているし、進藤英太郎の不吉な嫌らしさは、漱石「道草」の叔父もかくやと思わせる。口の端に血を垂らす若尾文子は、ミゾグチ映画のエッセンスを凝縮したような名カットである。
『赤線地帯』で若尾文子が春本富士夫を袖にするときの理屈は、本作の冒頭で木暮実千代が田中春男を追い出す理屈と同じ(結婚の約束など座興に決まっているではないか、という)。お姉はんから教えてもらわはったんどす。本作の美しげなラストは、ここから振り返ると、商売上のしたたかさへの決意ととれる。彼女らに表社会の美しさなどありはしないのだ、と。この微妙なニュアンスもまた、小説では表現できない映画の演出の力である。
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