[コメント] 三人の女(1977/米)
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最初はバラバラの個性だった三人が、まずシシー・スペイセクがシェリー・デュヴァルに変身し、シェリーはシシーに変身し、最後にふたりがジャニス・ルールに変身を始める。双子は入れ替わるのではないかという車中の雑談で、この主題は丁寧に明示されており、終結に至ってシシーとシェリーは件の双子と同じ没個性な「不気味さ」を身に纏うことになる。
しかし、これは単に「不気味」ということではなく、西洋からみた東洋(ジャニスの描く壁画からは、中近東と特定されるのだろう)の神秘感が反映されている。ヒッピー文化に影響された70年代の空気が濃厚で、根底にはショーペンハウエルの諦念があるとみえる。
アパートやバーの男たちは、まるで東洋の哲人のように無口で没個性で、えも云われぬインパクトがある。他方、アメリカ人らしく賑やかなキャラクター、前半のシェリー・デュヴァルとジャニスの亭主は、愚か者としてコケにされている。自殺未遂や死産という、人に倫理観を想起させる機縁となるべき事件が、ここでは家族の絆や友情の確認といったアメリカ映画のクリシェを逆手にとって、もちろんこれも友情の確認ではあるのだけれど、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフの肯定とは別の価値観を提示している。そこでは亭主の抹殺も肯定されるのだ。閉鎖的で「不気味」な田舎町というペキンパー『わらの犬』などの系譜にあることも確かだが、あのように単に否定される場所ではない、異端の肯定がここにはあると感じられる。バラバラの個性が入り混じる群像劇を撮り続けたアルトマンだからこそ描けた、あるひとつの極端だと思う。
アルトマン作品は女優の名演の宝庫。ここでもシシー・スペイセクが、田舎娘の変遷を無二の「個性」で表現して、深い印象を残す。「吊るし首ぃ」とはしゃぐ娘があんな具合になるのは不幸だ、という割り切れなさがいつまでも消えない。
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