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[コメント] 兄とその妹(1939/日)

主人公の自覚せぬ不安の描写の巧みさ。収束は2点減点。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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冒頭の布石が秀逸だ。夜遅く帰路を行く佐分利信の足音が二重になる。その後この件の説明は一切ないため、あれは何だったのかと観客は不安を抱えながら映画に向かうことになる。ここから時間軸に沿って綿密に繰り広げられる佐分利の生活の描写は自然で優れものだが、彼等が堂々と自足しているからなおのこと、あの二重の足音は何だったのだろうと宙吊りの状態が強いられ、これは佐分利の会社員としての存在そのものに向けられたものだったと判明する処まで引っ張られるのだが中途ではよく判らず、ただ名指しできない不安が渦巻いている。静かな描写の数々が不安をいや増しにしており、三宅邦子などシェリー・デュヴァルに似ているように見えてきて、病み上がりで庭先の見えない猫を呼ぶ等の細部が、一皮むけば根無し草(ラストの飛行機の車輪に絡みついた草に例えられただろう)という不安を煽り立てるように見える。

桑野通子は最高(遅れちゃう遅れちゃうと云いながら掻き込む朝飯、菅井一郎との丁丁発止、印象的な掌の富士山など)であるが、彼女の言動は実はよく判らない。佐分利に、同僚に妬みを買うような行動は慎めと二度たしなめる。一度は冒頭、上司の自宅で碁を打つことについて。二度目は後半、上司の甥と自分との婚約について、であった。桑野の忖度の通りに河村黎吉他の同僚は佐分利を妬む訳だが、佐分利の会社の事情など桑野が知る訳はなく、まぐれ当たりという以上の英知が感じられないし、会社では会社員らしくしていろというその主張には、自尊のため会社を辞めるという佐分利の重大な行動との関連がない。

会社の出世争いのドロドロは興味深い。労働組合など法制化されていない当時、奈良真養のような降格は茶飯事で、全ては上司の胸先三寸で人事など決まった描写は正確なものらしい。健康保険がなくて病気しただけで死んでしまう人物など戦前の成瀬映画に出てくるが、その会社版という感じがする。佐分利の直情径行と場所柄わきまえぬ暴力はしかし時代性に関係なく、どこかで見た光景を思い出させるリアルさがある。この転覆は素晴らしい。しかし、一気に救われる収束は馬鹿馬鹿しい。当然ここから転落、『東京の合唱』が始まらねばならない。

この収束は減点せざるを得ない。この、本国のゴタゴタのガス抜きのための大陸行き、というという切り口は後年の『戸田家の兄妹』でも同じ佐分利信で繰り返されることになるが、本作は投機のための進出であり、小津より更に悪質とも云える。しかもこれは情報局映画でなく島津の独創だ。映画が巨大な力を持っていた当時、これを真に受けて満州なりへ渡った人も少なからずいただろう。彼等が植民地の人をどんな目にあわせて、自らもどんな酷い目にあったか。知らなかったで済むなら警察はいらないのである。

(評価:★3)

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