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[コメント] 俺は、君のためにこそ死ににいく(2007/日)

だいたい「死ににいく」などというぎこちない日本語で「美しかったかつての日本」を語るのが間違っている。塵屑。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







石原慎太郎は冒頭に字幕で曰く、「雄々しく美しかったかつての日本の姿を伝えて残したいと思います」。彼にかかれば第二次大戦は源平合戦並の舞台に過ぎない。だから特攻もそのように扱うのだと予告されている。

岸恵子は冒頭の科白で知覧の訓練兵を評して「皆ただただ、大空を飛ぶことを憧れて必死で飛行訓練を受けておられました」。この飯屋の女将は世情に詳しくないという設定のようだが、彼らが戦争に行くのも知らなかったらしい。

伊武雅刀の中将は特攻を命令して「この戦は敗れるだろうが、その後も国体は護らねばならない。国家の名誉のために死んで貰う」。特攻は名誉と定義されている。私なんぞ、モンティパイソンのネタで出てくるカミカゼ特攻に大笑いした口であり、このグロテスクな人権無視の何が名誉なのかよく判らない。

まあこのような初期設定で何が出てくるかは知れたようなものだ。50〜60年代の戦争映画とたいそう違うのは戦争批判のニュアンスが皆無であること。伊武の放言は驚くことに肯定され、特攻隊の面々は軍神であると土下座する石橋蓮司らに無批判に称揚され、靖国で会おうと何のイロニーもなく熱く語り合う。何の批評も加えない。結果、当時のイデオロギーをなぞるばかり。それがリアリズムだと信じているらしい。

そのとき、この作者たちの念頭から完全に欠落しているらしいのは、同じ映画手法でポルポトだってISだって北朝鮮だって、自国兵を回想して同様に撮れるのだ、ということである。作者らがその映画を観て批評がない、などと云うのは形式論理的に自己撞着である。それとも9・11のビル突撃を彼等は「雄々しく美しい」と形容するのだろうか。北朝鮮が人権無視の特攻を仕掛ける回想映画をつくったら「敵ながら天晴れ」とでも云うつもりなのだろうか(あり得る話だが)。

第三国人発言で有名な作者がコリアンの特攻を語ると空々しいものがあり、彼(前川泰之)に胸触られてヨロメく岸などバカバカしいレベル。子役だのハーモニカだので湿らせ、特撮で特攻させて一丁上がりという安易さ。かつてスネークマンショーで「戦争反対!」を吹き込んだ伊武がこげな役を演じているのも幻滅だが、さらに悲しいのが寺田農で、『肉弾』の主題は本作のタイトルと重なるものがあり、あのギリギリの内省は何だったのかと空疎な気分にさせられる。

ラストで岸は徳重聡に、生き残ったものは伝える義務があると諭す。私もその通りだと思う。しかしそれは、無謀な犠牲を強いられた仲間たちのために怒りもせず、「海ゆかば」とともに登場する蛍の亡霊たちと旧交を温める、なんてことではないはずである。

(評価:★1)

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