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[コメント] ブタがいた教室(2008/日)

先鋭的な倫理判断を当世風な学園ものに放り込んで刺激的。百年後に再評価される作品なのかも知れない。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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妻夫木聡先生は『ジョゼ』のように、後日後悔して泣くだろう。田畑智子に「もう充分議論したんだ」と漏らす彼は疲れ切っている。「命の授業」の目論見は児童の激しい自発性でコントロールできなくなり、ただのアンパイヤの立場に自分を追い込み(肉を食べない収束は児童の選択であるから赦されるべき)、最後には悪夢のように児童のひとりとして指命され、自分の意見の吟味を怠っていたことに突然気づかされる。大人こそ、命について何も考えていないのが浮き彫りにされる。見事な反転。映画は彼の造形について確定させていないが、この解釈は妥当だと思う(原作から映画は相当離れている)。

食肉において宗教・倫理は最も先鋭的になる。虫も殺さぬジャイナ教や人肉を代わりに差し出すブードゥーとアメリカン・ウェイ・オブ・ライフの間には無数の価値判断があるだろう。孟子は情が移って食えなくならないように「君子(男子)厨房に近寄るべからず」と云った。晩年のデリタはほとんど菜食主義者と同じ主張をした。私は彼に共感するが、実行は難しかろう(動物性タンパクを肉以外から摂取するのはとても高価だ)「俺は菜食主義者だが肉の味が忘れられない」と『ストーカー』の登場人物は語った。日本では江戸時代まで肉食は仏教上ご法度だがその実行われ、同和問題の遠因のひとつとなった。

本作で、料理人の親父に体験を聞かされた子が食肉センター行きを先頭に立って主張するのは、いわば隠れた階級闘争である。学校教育における機会均等が盲点としてきたところまで本作はフォローしている。もちろん、親父の云う通りの子になれと云ってはいない。この子が先頭に立ってPちゃんを見送るラストシーンは、だから美しい。そしてこのラスト、冒頭のPちゃんの主観に戻って終わる。Pちゃんは何を思うのか、観客に切実に問うているのだ。

いろんな意見がある。しかしそこで判断を保留していいものか。大多数の外国人はこれについてそれぞれ確固たる意見を持っている。ファジーな日本人が立ち現れるのはこういう「小さなこと」なのだと思った。

殺すものへの名付けの禁止という件は、レヴィナスやデリタの理論の応用になっており聡明、記憶に残る。児童の生き生きとした笑いと真剣な涙、省略の効いた構成も素晴らしい。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)水那岐[*]

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