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時代は若返ったのだろうか、一体。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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人殺しをしていれば幸徳秋水も大杉栄もただの「思想犯」ではない。それが市民の共感からほど遠い警備員の無意味な殺害ならなおさらだ。しかし、妻夫木聡演じる主人公に共感・同情の余地は大いにある。朝霞自衛官殺害事件は新左翼が起こした殆ど最初のテロルであり(内ゲバはあったにせよ)、それまでは全学連の活動は一般市民の相当数の支持を集めていたのだから。安保・ベトナム戦争・三里塚と、その主張はいま振り返っても相当に正論だろう。三里塚など結局国が謝罪したのだし。

朝霞事件は分水嶺だった。本作が描くべきは妻夫木の、あれ、何これ、みんな支持してたじゃん、という戸惑いではなかったか。ここが本作は弱い。本人の弁として「信じたかったんだよな」とポツリとこぼす件は説得力がある。がしかし、これが妻夫木殆どひとりにしわ寄せされるのが弱い。支持していた多数がテロルを前にして踵を返すように離れていき、妻夫木が取り残される瞬間があったはずだ。そこを描いてほしかった。これは本邦の歴史の、ひとつの大転換なのだから。

実話だから仕方ないという話ではなく、それなら実話のセレクトが悪い。実際、朝日のなかでもシンパは相当いたはずじゃないのだろうか。川本三郎は自分だけ罪をかぶって、誰かを守っているような気さえする。敗訴後、いきなりキネ旬に記事書いているのも弱かろう。干されて苦労した時代があったと聞くが、あれではスター文筆家のままだ。

妻夫木の鼻つまむ涙はもう見飽きたの感があるが、最後泣いてどうなのだ。昔の偽装取材を後悔する涙ならジャーナリズム批判に及ぶのだろうが、そこまでする気はなく、ただ少女のいい科白との辻褄合わせに終わっているのもまた弱い。「あの頃ぼくはとても年老いていて/今のほうが若い」というディランの歌(部屋にジャケが飾られている)をタイトルにするのも違和感というか虚無感がある。時代は若返っただろうか。

滝田修は『パルチザン前史』で本物を観たことがある。「暴力は悪じゃないよ」と静かに語る弁論は危険なカリスマ性があった。ヤ―様みたいな山内圭哉は全然似ていない、インテリ然とした男だ。この辺り、本作は活劇にし過ぎている。一方、弾薬奪取の撮影は若松の『天使の恍惚』とは比較にならないショボさだが、これは実際ショボい犯行だからこれでいいのだろう。被害者をじっと映す処はとてもいい。アジトに飾られている額はゲバラと毛沢東。成功例と失敗例だが、中国は当時はまだ四人組の時代だったから、失敗とは知らされていなかった。

冒頭の有名な「連帯を求めて孤立を恐れず」の落書きを眺めるのは、松山ケンイチである必要はなく(同情の余地のないバカで充分だ)、虚構でいいから妻夫木であるべきだったろう。松山については、山下監督の学生時代のホラー映画を観たことがあるが、巧くなったものだと思った。当たり前だが。蛇足だけど、あれから数十年、本邦の左翼・リベラルは相変わらず連帯に及び腰で各党孤立ばかりしているのだなあという虚無感も覚えた。

(評価:★3)

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