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[コメント] 嘆きのピエタ(2012/韓国)

マリアの哀れみは誰も救わない。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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ワンショット映る明洞大聖堂は、韓国の軍事政権下における民主化運動の拠点だったと、観光したときガイドさんに教えてもらったことがある。調べたらここの守護聖人は聖母マリアだった。ピエタは韓国人にとって重い主題に違いない。

しかしそれ以上に感じるのは、本作がキリスト教を通して、一般に集団主義的といわれる儒教の孝と恨を、実存的に捉え直そうとしていることである。達観好きの仏教徒である日本人からは出てこない(昔は出たんだが)脂ぎった粘着質な触感が素晴らしく、これを長回しで撮られたらとんでもないことになる、ポンポン切れるショットは鋭利だが中和作用になってもいる。

最初は鬼面人を嚇して後半は甘口に展開するのがこの監督の呼吸らしく『春夏秋冬』も『うつせみ』も、腰砕けに感じてあまり好きではなかった。本作でもそれは踏襲されているのだが、ここにきて一皮むけており、この後半、甘口も甘口、甘すぎるハードさが展開し始める。簡潔な語り口により、ミソンの復讐の強度は類例を遠く引き離している。

母の聖母的な愛は悪人を悔悛させるだろうか。この鬼畜な男の転身は強引な作為にもみえる。レアケースの奇跡と受け止めるべきなのかもしれない。ただ、俺の黒子は何処にあるという質問に女は答えない、ここの呼吸が繊細だ。ガンドはなぜ答えられない女を母と認めるのか。産んですぐ捨てた(だから知らない)という説明に納得したのか。それとも、あえて母親と見做したのか。宙吊りのまま話は進む。後者ではなかったのかという留保が、ガンドの造形に陰影をもたらしている。

(ただし、冒頭から女とできないという主題が示されている(自慰と姦淫の拒否)が、産まれた処に戻してくれというめまいのするような強姦でガンドが変わった、とするバタイユ系の作意があるのなら、これは安直だと思う。)

終盤の地獄巡りは重い。観るものに嗜虐的なカタルシスを与えもするところも含めて重い。収束にガンドは倒錯した満足を覚えたのかも知れない。覚えなかったかもしれない。しかしいずれでも、被害者たちは心の闇を増やすばかりだ。彼らの八つ裂きにしてやりたい他の言葉を額面通り受け取る訳にはいかない。だから孝は何も救わず、恨は無限のスパイラルを描き続けている(借金取りを廃業させたのは功績だとしても)。マリアの愛はラストシーンで空回りしている。この失敗、答えのなさを十全に提示したからこそ本作は傑作だ。答えなど簡単に出せるはずがない。なぜ失敗したかと答えのない問いを問うているからこそ本作は尊い。犯した悪事を償うのは、究極には不可能なのだろうか。

「嘆きの哀れみ」というヘンテコな邦題は、そう捉えればいいタイトルだ。哀れみを嘆いているのだ。

監督はあの静渓川周辺でバイトした経験があるらしい。中上建次は昔の日本の風景が残っているソウルを愛したが、ロケ地はまさにそのような場所だ。イミョンバクがソウル市長のときに奇麗にして有名になった川である。失われる風景を残すのは映画の重要な仕事だと思う。韓国映画の楽しみのひとつは、日本映画ではモノクロでしか観られないような風景をカラーで観られることだ。監督ひとりでロケハンして、撮影期間は10日とのこと。素晴らしい。

(評価:★5)

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