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[コメント] インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌(2013/米)

行くも地獄、戻るも地獄、進退窮まるいつものコーエン兄弟ではあるが
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







巨匠が肩の力を抜いてひとりのホーボーを中心に趣味的にフォーク文化を語るげな出だしであり中盤であって、こちらも気楽に観ていたのだが、シカゴへ向かう車に乗り込んだ途端にいつものコーエン兄弟に戻り、夜のハイウェイでぶっ倒れて動かない老人と一緒にキーのない車中に取り残されて茫然となる。この監督、進退窮まる状況に主人公を陥れるバリエーションをいったい幾つ発案しただろう。そして翻れば、最初から主人公は徐々に身動きとれなくなり始めていたと改めて気づかされ、サスペンスが高まる。

しかしここからの回収は上手くいっていない。というか、回収していない。あの老人、ハイウェイにほったらかしでよかったのだろうか。主人公が比較的真人間であるから、ここの処がよくわからない。また、二匹の猫がどう絡んだのか、もっと巧いオチをつけるのだと思っていたから腰砕けに終わる。家族や友人たちとの関係悪化も投げやりだ。

主人公は才能を認められず全てに投げやりになりました、ということなのか。しかしそんな話なら、わざわざ一編の映画を撮るほどの内容ではないと思う。

そして繰り返される路地裏の暴行もよく判らない。同じ状況が二度繰り返されるのは円環が閉じたということではなく、ベケットのゴドー流に、永遠に繰り返されるに等しいと捉えるべきと思うのだが、それがディラン登場の世代交代とどう関連づけられるのかもよく判らない。老境にさしかかった名監督によくある、物語を類型に嵌めるのが面倒臭くなったが故の天衣無縫な出鱈目じゃなかろうかと思う。

(追記)水那岐様 批判などしていませんよ。見解が違うというだけです。円環が閉じたという解釈ももちろんあるでしょう。

本作、序盤にとんでもないサプライズがある。云うまでもなくステージで3人揃って「500マイル」を歌う彼らはピーター、ポール&マリーでしたというものだ。すると本作のキャリー・マリガン演じるのはマリー・トラヴァースその人なのだろうか。作品はフォーク文化の描写も後半投げやりになるので判らず仕舞いである。

あと、時代考証は綿密なのだろうから、1961年にすでにアッパークラスのマンションのドアはオートロックであったこと、NYの地下鉄の入場は無人化されていたことに驚いた。レコードをかけっぱなしにするのは投げやりな精神状態を表しているんですよね。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)Orpheus jollyjoker[*] 水那岐[*]

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