コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 私の少女(2014/韓国)

ヘンリー・ジェイムズの傑作のような謎かけ
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







法の外で人間を見つめるスタンスは正にイ・チャンドン好み。だから彼の傑作とどうしても比較してしまうのが、この新人監督、師匠の影響大ながら、自分の文法をすでに持っている。

特徴的なのはとても淡泊な描写だ。これまで幾らでも描かれてきた小悪魔少女に比べてキム・セロンの造形は大人し過ぎるほど大人しい。彼女は被害者なのに「あの娘は怪物だ」という若い警官の科白はとても唐突に聞こえる。バイ・セクシャルの主題も中性的なぺ・ドゥナにより強調されず控え目だ(70年代の日本映画なら再会した彼女とのベッドシーンが確実に設けられただろう)。ここからふたつの効果が表れている。ひとつは、この悪し様に云われ今後も云われるだろうふたりの臆病にリアルがあること、もうひとつは、ヘンリー・ジェイムズを読むときのように、絵面で判らない事態について観客は頭で想像しなければならないことだ。

収束の件、車中でキムの元に戻る旨告げるぺ・ドゥナの横顔からは、『アパートの鍵貸します』のシャーリー・マクレーンが想起される。美しいラストだが、アパート以上の受難がふたりを待っているのは必定だ。これまでの関係をぺ・ドゥナはこのラストで反転させ、犯罪者であると知ったキムとの性関係という、既にどのような罰が与えられるか延々と示された地点へ向かう(いや、ただキムを保護するだけなのかも知れない。これも映画は語らない)。この背徳を、映画は冒頭の車窓にかかる雨の反復で示すだけなのだ。省略の技法は21世紀の映画の美点だが、ここに極まれりと云いたいほど淡泊、かつ想いが溢れている。

虐待児があれほど明るいとは考えにくい。子猫のようについてくるキムの擬態なのか、それとも小悪魔の正体なのか(するとぺ・ドゥナは最終的に利用されているだけなのか)、これも最後まで判定は下されていない。ドゥナは暗闇の跳躍のように、キムに向かう。過度に面倒をみるな、身動きとれなくなる、は福祉関係の公務員の心得であり、法令は彼等を守るためにあり、有為の人材はそうして誠実を捨ててしまったりする。法の外で生きるには誠実でなくてはならない、とはディランの歌の文句だが、誠実だから捨てる法もある。田舎町の不法滞在とは事実でないのかも知れないがいかにもありそうな事態であり、何が村のために正しいのか判らないという背景が主題を立体的にしている(監督の故郷のロケというからすごい根性だ)。本作のベスト・ショットは留置所でぺ・ドゥナと目線を合わせるインド人。こういう気遣いをする作家が私は単純に好きだ。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)DSCH[*] おーい粗茶[*] ペンクロフ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。