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[コメント] 驟雨(1956/日)

イジワル婆あちゃん水木洋子とヤルセナキオの絶妙な相性が産んだ傑作。紙風船は落下することなく浮遊し続け、ふたりの勝負は永遠に続くだろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







原節子佐野周二にだけ厳しい。隣家との外出を突然の憂鬱からドタキャンし(こういう女性っているものだ)、町内のうるさ方にはやられっぱなし、バカな野良犬にしか愛情を示せない消極的な原。寂しい人なのだ。彼女が元気になれるのは、佐野をトッチメテいるときだけだ。この決して健全とは云えない夫婦の関係を映画は絶対肯定してしまう。

冒頭の香川京子の成田離婚噺、原は最初は御主人の肩を持って興奮する香川を宥めているのに、佐野が外から帰ってきた途端に香川に参戦し、佐野に向かって亭主というものを裁断し続ける(悦に入って香川の話に勝手に尾鰭を付ける可笑しさよ)。終盤に佐野の同僚に誘われたバー勤めをやってみたいと云うのも、佐野が駄目だと云うからだ。こういうときにだけ、原は元気を取り戻す。いわゆる内弁慶。佐野はサンドバックである。

物語はこの捩じくれた関係に相応しく、負のスパイラルに進む。依願退職の判断を迫られる佐野。田舎で農業をするという佐野を原はケチョンケチョンに貶し、消極的な原に接客は務まらないと佐野は諭す。どちらも正論、離縁まで俎板に乗るいつものヤルセナキオに行き場はなく、この現実の視界不良は最後まで晴れない。

そして素晴らしいラストの紙風船の件が来る。ヨリを戻した香川夫婦の写真、小林桂樹の「昨晩は喧嘩していたのになあ」という指摘とともに、我々はこの犬も喰わぬ夫婦喧嘩は「驟雨」のように通り過ぎたと解する。しかしそれは本当だろうか。思えばこれは他人の願望込みの目線に過ぎず、本当はふたり(あるいは原だけ)は内心では離縁を決意しているのかも知れない、という含みが確実にある。

いったい、このゲームのルールは何だろう。紙風船を落とさないようにふたりして続けるのか、それともバレーのように落とした方が負けなのか、ふたりに共通理解があるのかも不明である(佐野にとっては風船を隣家の子供に返すための所作だが、横から出てきた原はこれを知り得ない)。原の「頑張れ」の掛け声(ホンの科白を削るのが趣味のナルセが、この一見余分な科白を削らなかった意味は重かろう)も、他人になるからこそ出てくる励ましとも取れる(もちろん危機に際して捻くれが直って素直になったとも取れる)。複雑な心理が見えるのは、佐野がこの掛け声に応答しないからだ。事態は思いの外多義的でスリリングなのだ。

偶然に始めた競技をヨタヨタしながら続ける夫婦、意地になって続ける依怙地な喜悦まで伝わってくる処で、佐野に頑固な原とサンドバックの佐野というフォーマットが丁寧に踏襲されている。宇野浩二を想わせる純文学的な纏めだが、なかなか落下しない紙風船とは誠に映画的、座りの悪さが生理的に生々しい。映画が終わっても思い返す度にふたりはまだ紙風船の叩き合いを続けているのではないかと疑われる。ふたりの関係の見事な具象化である。

だから、この勝負に勝ち負けはない。今後の生計の立て方は不明のままだが、離縁に至っても復縁して、ふたりは叩き合いを続けるだろう。この素敵なラストにおいて肯定されるのは原でも佐野でもなく、離れられないふたりの腐れ縁な関係性だ。イジワル人間関係もの大好きの水木洋子の面目躍如、ぶつ切りの一幕物戯曲をこれ程の重層的な物語に編集する剛腕に惚れ惚れとする。これを原の的確な造形により独特のブラックユーモアに仕立てたナルセもまた剛腕。『』や『めし』など倦怠期ものの系列にあるが、本作は異様に弾けている。ふたりのコンビで前年に『浮雲』が撮られているのも驚き。併せて観れば、紙風船の往復運動にケリをつけるのは死しかないとの諦念まで見える。

豊富な風俗の描写が素晴らしい。新婚旅行に蒲郡に行っていること、屋外ポンプを隣家と共有していること、家の中にもまたポンプがあること、戦前は必ず被られていた紳士帽がこの頃に流行遅れとなっていること(犬が穴を開ける)、当時の婦人は鶏をバラせること(原の意外な一面を示したのかもしれないけど)等々、山田洋次並に細かい。小林の年末闘争や常会への皮肉にも当時の常識が窺える。そして何より駅、商店街、住宅街の詳述がいい。路地を好んだナルセ作品のなかでも、綿密さにおいて筆頭格だろう。梅ヶ丘に映画館はなく(看板に掲げられた『ゴリラ』なる怪獣映画もどうやら存在しない。多分『ゴジラ』(54)のパロディ)商店街はセットであるらしいが、他もそうなんだろうか、そうだとしたらなんと豪勢な美術だろう。この町にしばらく住んだような気持ちになれる。

ソロピアノで統一された音楽が作品の軽みを強調して周到。最初の成田離婚の件が面白すぎて、そこから通常のジワジワ盛り上げる展開に戻るので、ややバランスを欠いた憾みはあるが些細なことだ。長岡輝子の園長(犬を追いかけるコミカルなカットがいい)、中北千枝子の現在は絶滅種であるザアマス婦人とも、日頃の役処とかけ離れていて戯画的、コントのような可笑しみがある。ラストの佐野の紙風船との格闘におけるたたらを踏むステップは完璧、名優は何でもできる。

(評価:★5)

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