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[コメント] 女が階段を上る時(1960/日)

階層毎の美人ママへのアプローチ実践集として重宝、という下司な観方も脚本家は計算しているのだろう。私は突撃して五秒で轟沈する多々良純に学ぶ処大だった。
寒山

**ネタバレ注意**
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という処で、観直したら随分面白かった。昔観たときは退屈だったのだが、若い頃はこういう映画は観方が判らぬものだろう。本作の男どもは凸ちゃんの心情など何とも思ってはいないのであり、若い頃はそんなんでいいのかと義憤に駆られるのだが、年取ると男とはそういうものだと諦めながら観る。ろくでなしの世界であることは無論である。確かにこれは昆虫の生態観察に近い。

幾つも唐突な展開があり、面白かったり詰まらなかったりする。面白いのは淡路恵子の狂言自殺失敗死と加東大介の虚言癖で、唐突故の阿呆らしさが堪らない。一方、終盤の仲代達矢の告白は前振り不足で巧くない。ただ、凸ちゃんとの関係を『あらくれ』の続編として理解できる人にだけ訴えるものがある。大阪栄転で逃げる森雅之については、これはもう毎度のことと云うべきだろう。

本作の凸ちゃんは美貌の頂点。しみったれた織田政雄の兄に集られる彼女の造形は、親族に集られ続けたご本人の戯画のように見え、虚実ない交ぜな処があり、どういう心情で演じているのだろうと居たたまれなくなる。全く、サンドバック状態ではないか。バーのマダムもの、芸者ものは60年代には『女は二度生まれる』(61)の若尾文子のように反転攻勢を旨とするものが大勢を占めるようになる訳で、ここに世代間の境界線が引かれているように見える。

ベストショットはお化け煙突を背にした凸ちゃんの加東訪問の件。室内ばかりの息が詰まる閉塞的な作品世界のなか、ここだけに解放感があるが、そこで明かされるのが加東の虚言癖という暗転であるのがブラックで素晴らしい。初期ナルセのマドンナ細川ちか子の女将としての登用は、『流れる』の栗島すみ子と並び称されるべき(細川はずっと現役だったけど)。蝋燭一本でカードなど並べる千石規子さんの占い師も素敵。結局、彼女の占いは外れたのだった。

(評価:★4)

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