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[コメント] 悲しみは女だけに(1958/日)

新藤脚本の容赦なさの根っこを晒した壮絶な私映画
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







新藤監督の偽自伝。彼は次男だから本人抜きということになる。実際は戻ってこなかった花嫁移民の長姉がもし戻ってきたら、という筋書とのこと。田中絹代が理想化されているのはそのせいだろう。親族全員が悲しんでいるからよく判らないタイトルだが、これも長姉のことを指しているのだろうか。借金の方に庭石まで持っていかれたという監督がよく回想する話も盛り込まれている。排日移民から原爆まで語られるが、全部本物だから仕方がない。そのようにして新藤は何百本もホンを書く運命と資格を得たということだと思う。

田中絹代のユーモアと、彼女が最後に本当に必要な人(京マチ子)にだけ差し出す餞別でもって、陰惨さを回避する話法は流石。映画は舞台脚本からの流用であることを積極的に提示しており、暗転するなかの小沢栄太郎と京マチ子との対話は実に彫りが深い。ここが一番好きだ。「お父さん、今日は優しいんだね」「昔はよくお前を殴ったなあ」。こういう対話を出来ずに絶縁する親子は多かろう。悲惨ななかに一瞬の幸福がある。科白のない母親役の乙羽信子の件も印象深い。ただ囲炉裏端に座る彼女のフルショットに万感の想いを載せている。

ラストはすごい。積極的にドラマを破綻させている。起承転結などもう、どうでもいいのだという凄味。新藤脚本の失敗作には、このような死の欲動の突然の露見としか見えない事態があるが(例えば『雲がちぎれる時』)、これがよく判ったように思う。

本作は田中絹代と小沢栄太郎のもうひとつの代表作だろう。所作のひとつひとつに熟練がある。洋行帰りにアメリカにかぶれたと云って干された田中はほとんど自己パロディを敢行しており、役者魂を感じる。豪華俳優陣を適所に納めて俳優祭りにさせないという点でも的確、『流れる』に比肩すると思う。田中絹代と杉村春子の対面にクライマックスがあるが、ここでの杉村の抑えた表現はやはり抜群。望月優子水戸光子も印象に残る。

(評価:★5)

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