コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ハッピーエンド(2017/仏=独=オーストリア)

ブニュエル系のブルジョア家庭の自家中毒蔓延噺だが、このジャンルでピカイチだろう。容赦なく突き抜けている。
寒山

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ハケネを観るのは『』『ピアニスト』以来。素晴らしいショットが三つあった。冒頭の工事現場の土砂崩れに通俗なラジオ放送が重なる件、自動車自殺に向かうジャン・ルイ・トランティニャンが地下らしき駐車場から車を出す件(車が出るまでここはどのなのかさっぱり判らない)及び息子のフランツ・ロゴフスキが被害者家族のだろう安アパートをドロドロの車で訪れてボコボコにされる件。こういう即物性でストローブ=ユイレを継承している一方、物語用の通俗なショットも混在している。これが今のハケネのスタンスなのだろうが、その通俗の果てに映画をサンドイッチするスマホ画面があり、これが秀逸。チャットもそうだが、私的な語りを映画に無理なく挿入することに成功している(山田洋次のどうでもいいようなチャットの使い方と対極にある)。

いったい誰を相手にするのか明示しないという優れた含みのなか、モルモット殺して「一丁上がり」からして素晴らしい。このファンティーヌ・アルドゥアンの、鬱病の薬混ぜたら死んじゃった、みたいな朦朧とした自覚のなさはリアルで(ハケネはインタヴューで名古屋の女子大生の毒殺事件の影響に言及しているが、映画の娘はそこまで自覚的ではないだろう)、母に毒を盛る件を見せないのも効いている。アルドゥアンとトランティニャンの映画史上最低級と云うべき祖父と孫の交歓においても、アルドゥアンの話題は学校での薬物使用だ。しかしトランティニャンはこの娘の母も被害者だと悟るのだろう。なんちゅう告白合戦だ。

本作で唯一まともな人間のショットは、狂ったフランツに招かれた移民たちに、フランツを追い出した後でテーブルを与える件(これすらどこまで肯定的なのか疑わしくなるが)。本作の趣旨はブルジョア家庭のブニュエル系の自家中毒蔓延だろうが、移民を反対側に置かれたら、私だって相対的にブルジョアだろう。カレーの移民について別に抉った映画ではないけれど、この配置が凡百のブルジョアへの嫌味映画から本作を屹立させている。我が事のように嫌味を見続けさせられる訳で、いくら嫌味を盛ってもブルジョア相手なら構わないや、という通俗から離れている。ハケネの嫌味は平凡な観客に向けられている。

そのようにしてラスト、トランティニャンの最期を、ブルジョアの私は倒錯的に爽快感とともに観た。妻を絞殺した過去を持ち、娘は小便掛け合う銀行屋と再婚し、息子もそんなもので(チャットがイザベル・ユペールのものかマチュー・カソヴィッツのものか、字幕でフォローされないので判り難い処があったが)、孫は発狂(フランツ・ロゴフスキがユベールにボヤく諦念はそのままこの老人のものだろう)、もうひとりの孫は連続毒殺魔では、死にたくなって当然である。そして人々が駆け寄るスマホのラストショットは、自殺は遂げられず助け出されて恥の上塗りに終わるだろうと予告している。簡単に死んでもらっちゃ困るんだ、と映画は語っている。それは彼に懺悔の機会を与えるという意味で、宗教的ですらあるだろう。これも込みのタイトルと解した。というか、解したいものだ。

あの道路が水没するロケ地を見つけたのも単純にすごいことで、それとも造成したのだろうか。あの青い海、絶望は余りにも完璧だ。そこへアルドゥアンが再び向けるスマホが見事なダメ押し、正に茫然とさせられる。彼女が救われることなど想像できないし、そもそも救いとは何か判らなくなる。ただ明らかなのは、スマホ(パソコン通信も)が人の劣情を具現化するにあたってとても優秀な機材ということであり、本作は機械に促されて露悪的になった現代の病を的確に指摘している。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)ぽんしゅう[*] セント[*] けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。