コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 鉄西区(2002/中国)

単に廃墟巡りとして観てもこの工場群と住居群のスケール感は圧倒的でセンス・オブ・ワンダーそのもの。本作を観ずに重厚長大と云うなかれ。CG仕立てのSF映画は本作のモノホンの迫力には到底太刀打ちできまい(レヴューは8時間分)。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この箆棒な規模のものが死期を迎えており、映画は倒れゆく様をたっぷりと見せてくれる。そこには人の営みがあるのだが、彼等の喜怒哀楽はそのままに、特に関係なく工場も街も倒れる(この点、鉄道は倒れないから第3部は弱い)。ラカンの云う想像界と象徴界が共存する世界のようなのだ。労働者たちは明るく逞しく、議論好きで、国家や工場への不満を隠さない。そしてそれとはまるで関係ないかのように重厚長大は倒れ行く。

本作では敵役がほとんど登場しない。工場の上層部も街のブローカーや立ち退きのチンピラが映らない。これはドキュメンタリーの限界なのだろうと言外に伝わってくるものがあるが、そこまで求めるのは無理というものなんだろう。情報統制の中国でここまで撮っただけでも凄いものだと思う。

キャメラは余りに見事。この構図の才は素晴らしい。同じ被写体でも大抵の人が撮ったらその辺のホームビデオになるに違いないのだ。カメリハなんてほとんどしていないだろうに、即興でここまで撮れるのは天才の技である。数回、あせったような移動がフィックスに収まる件があるのだが、これがベストポジションにぴたりと収まるのだ。まるで劇映画みたいだ。どうなっているんだろう。

「工場」(英題は単にRust)は日本軍工場が民間転用されたもので、第2部で、これから襲われる村にいるより安全だからこの工場に勤めたのだという回想が述べられていた。公営大工場が100余、全盛期の80年には労働者100万人を擁する、も99年には殆ど閉鎖。元は1980年では151円だったが2000年には13円(2019年は16円)。為替差益で儲からなくなった。

老朽化は放置されているが面白い話を工員がしていた。ここでは何でも原材料になる、新型の工場は原材料が細分化されていてそうはいかない。だからここにはクズの原材料が来る。そういうことってあるんだろうなあと思わされる。

暗い工場が印象的だ。序盤は夜間の残業風景らしく、これが凄い。特に鉛分解工場の、天井が半円のバカでかくて溶鉱のオレンジだけが輝く光景が強烈でほとんど地獄だ。中国の人は商店でもそうだが暗いのが平気な処もあると思う。途中からは窓から工場内部へ陽が差すようになるのだが。銅だの亜鉛だのの分解という化学をやるとかくも不自然な造作ができあがるのだろうか、という感慨は工場一般から受ける印象だが本作はこれが甚だしい。鉛の含有量は国基準の100倍と班長だけがマスクして語る。1部の終わりには定期療養の検査の模様も映されているが、大丈夫なんだろうか。

休憩室の、全て緑色に塗られた扉やロッカー、中国将棋、やたら裸になる工員たち、定期点検。溶鉱炉が流れ出す事故。原材料積み下ろしの単調な業務をキャメラは延々と撮り続けるこの強度。

工員への給料未払が常態化している。自宅待機も出勤も給料は同じだと泣きが入り、支払われると「新札は偽札か確認しろ」と云われる。共産党はいまや共和党だとも云われる。公営工場への不信は国への不信に直結している。そして諦めている。30年間積み立ててきた年金がパアになるから無給でも辞めることができないと云われる。

しばしば歌が歌われるが、「解放改革の主役になろう」とカラオケで唸り「ああ私たちの解放軍」とサックスが吹かれるのは、労働者たちの不満ありありな言動との乖離が甚だしい。歌とは彼等にとって建前でしかないようだ(2部3部のポップスや俗謡とは印象が大いに違う)、終盤、倒産の発表はなく噂ばかりが飛び交うのが実にリアルだ。女性の多いハンヨウケーブル工場(休業中に凍結した配管の氷を叩き割っていた)の方は再開していたが、先行きは暗いのだろう。

「街」も負の磁力で充実している。住民はほとんど工場労働者と語られる「艶粉街」(かつては「女中墓場」と呼ばれたとある)。1部と3部の最後に汽車が行くのもこの地区なんだろう。線路上がゴミの山で驚かされる。カズオ・イシグロ「わたしたちが孤児だったころ」に上海租界の延々続く住居の驚異的な描写があったが、本作と呼応しているかのようだ。

冒頭のチャリティくじの件に自宅待機中の工員が当選している。この司会者の「所有は神聖だ」というアジテーションに驚かされる。中国の資本主義とは私にはいまだに訳判らないのだが、これでも社会主義なんだろうか。

ラブレターを見せ合うやたら大らかな不良少年たちのリードで眺める街は煉瓦づくりの集合住宅のスラム。入口は普通なのに中に入るとバカでかいスーパーや商店があり驚かされる(床は転圧だけの土の地面なのが懐かしい)。この少年たち、後半はあまり出てこなかったのがちょっと残念。ただ「夢なんて甘い」と説教し合い、「時の過ぎゆくままに」のもろパクリな中国語のポップスをCDでかけていた。彼等に比べると大人は短気だ。

移転計画の説明会があり、ここから街は風雲急を告げる。自力での家屋解体、露天での物売り、引越し、喧嘩につぐ喧嘩。早く出ていきたかったという人たちも大勢いる。移転先の住居面積が狭くなるのが不満だが相手は国ではない民間会社だと諦めてしまう。住民は共産主義社会らしく団体交渉に及ぶかと見るとまるでそんなことはなく、ただチリジリになり、不満な者たちは居残って電機会社が配線切っても蝋燭生活に入る。強制撤去の文章が示され、半壊した家屋が翌朝に撮られる。この、家族単位、仲間単位でなんとでもしてくぜという逞しさを捉えて、放り出すように2部は終わる。中国の人は強い。それは国家(同族)とは特に関係なく強い、という印象を受けた。

「鉄路」この3部はやや弱い。鉄道が閉鎖される訳ではないから。ただ老杜という元職員の爺さんを汽車に乗せて、石炭のヤミを手伝っている鉄道員たちが描かれる。61年生まれは文革世代、大学に行けなかった爺さんの詠嘆に鉄道員たちも共感する。爺さんの息子は精神薄弱らしく、本作ここにきてはじめて無口な登場人物、父が逮捕されたときの涙(飼い犬も同様に嘆いているのが泣かせる)、そして釈放された父に料理店で額づいて愛しているという件をクライマックスにしている。

鉄道作業員たちは工場や街の連中同様の不良がかった兄ちゃんたち。こんないい加減で電車というのは走るのだろうかと思わされる。潰れた工場を南へ北へと進む。99〜2001年に並走しているSLというのもすごいものだ。工場が全廃されればこの引込線も彼等もいなくなるんだろうという含意でもって映画は終わる。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)irodori

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。