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[コメント] フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法(2017/米)

ポップな意匠の数々は明らかにゴダールの影響下にあり、ウィンドウにナプキン叩きつけるブリア・ビネイトの不敵さもまたアンナ・カリーナの発展形。加える小娘の投入に確固たるオリジナリティがある。
寒山

**ネタバレ注意**
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リゾート地の寄食者の物語だ。ビネイトがタカるのはリゾート客か、リゾート周辺産業の労働者か。高級ホテル前で化粧品売りつけたり、盗んだ入場リングを売りつけるのはリゾート客だろうし、売春するのは労働者だろう。ホテルでの無賃飲食のおこぼれもリゾート地ゆえの生活の知恵だろう。親の顰に倣うブルックリン・キンバリー・プリンスもアイスクリームを只食いしたりする。

ブルックリンら子供たちのアメリカンな饒舌や、唾吐きに始まり放火に至る辛辣な悪戯の数々は、ユーモアを微妙に欠いていて生々しく、これらは全世界の隅々で繰り返される常態に違いない。それぞれのネタも辛辣で優れていて、私など、こういう人生もあるのだと発見ばかりだ。こればかり繰り返して映画が終わっても傑作だっただろう。

ブルックリンらふたりが馬鹿でかい老木に腰かけて、倒れても生きているから好きなんだ、と云う件があるが、ここだけはプレス向けのひっかけだろう。この子らに根っこなどない。ビネイトとの母子愛も何か基盤がある訳ではなく、その儚さにおいて際立っている。ウィレム・デフォーとの関係改善がまるでないシリアスさもリアル。そして抜群のラストが来る。

観終えてからチラシの類を眺めて実に意外だったのは、本作のラストを『小さな恋のメロディ』系と捉える評ばかりだったこと。映画の惹句にしてからが「ハッピーエンドさえ凌ぐ、誰もみたことのないマジカルエンド」だし、町山智浩氏は「世界は魔法」と書き瀬々敬久氏は「絶望は決して滅亡じゃない」と書いている。

あのふたりはシンデレラ城で幸せに暮らしました、という収束なのか。いや、それはそれで感動的なのかも知れない。しかし私は別のことを思って激しく感動していた。幸いなことに演出は寡黙で多義性を許してくれている。

メロディ』とは違い、ふたりの逃走には目標がある。それは寄食先の総本山、シンデレラ城なのだ(それゆえ『メロディ』の二番煎じを免れている)。例えば本作の舞台が福島なら、ラストでふたりが駆け込むのは原子力発電所だっただろう。舞台が沖縄なら、それは米軍基地だっただろう。この三種類に構造的な差異はない。するとシンデレラ城でふたりはどうなるか。概ね三択が想像されるだろう。ふたりがテロ行為に及ぶ/ハーメルンのように連れ去られる(滅亡する)/一生を享楽的に過ごす。

三択に答えはないだろう。家裁に連れ出されるのがリアリズムだが、廃居と同じく放火するかも知れないし、パンフが云うようにマジカルに暮らすかも知れない。私が感動したのはこの重層化した三択(いや、選択は無数にある)を映画が提示して終わりにしたことだった。想像力の革命などという古い言葉が思い出される。ブルックリンの行方は単線的な運命ではない。選択肢は幾らでも見つけ出せる。これを映画は観客に委ねている。考えなきゃならないのは我々である。別にロマンチックもセンチメンタルも否定しないが、本作はもっと力強い展開を予告していると受け止めたい。

映画的な主張は、ラストのディズニーランドの撮影と、周辺地区のモーテル街の撮影に温度差のないことだろう。フロリダの官民あわせた都市形成が街中ディズニーランド状態であることを示している。モーテルはもちろん、数々の奇矯なオブジェを掲げる商店も、廃墟になった(放火される)住宅街のカラフルさもそうで、ディズニーランドに入らなくても、観客はずっとそのパロディを眺め続けている(ただヘリコプターだけが、リゾート客には享楽だろうが周辺には不気味なものとして飛翔し続ける)。その意匠の数々は明らかにゴダールの影響下にあり、資本主義の極上ポップが自家中毒を招くという視点が継承されている。ウィンドウにナプキン叩きつけるビネイトの不敵さもまたアンナ・カリーナの発展形。しかしてあの髪はラムちゃん系なのか。ゴダールもすごい処に引っ張り込まれたものだが、彼の志が意外な処で継承された本作は賞賛に値する。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] けにろん[*]

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