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[コメント] 止められるか、俺たちを(2018/日)

つねに未来への問いかけを続けた若松映画のオマージュがこんな回顧趣味では困るし、71年の新左翼思想で止まっているのに「止められるか」と力まれても困る。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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作劇は若松プロの活動の回想を縦軸に、門脇麦の助監督の活躍を横軸に展開する。 門脇の件はいくつか琴線に触れる箇所がある。温泉映画の処女作の件、徹夜してホン書いて思うに任せぬ演出して、試写で微妙な空気に晒されるまでの件は本作の白眉。堕胎を悩んでいるときに映画(これは何という作品だったか)を観て、「堕ろすのはセックスへの敗北よ」という科白(原始共産制的な含みがある)を聞いて涙を流す件もいい。このとき彼女は、若松的な性解放の理想と自らの現実に引き裂かれている。

なぜここを詳述しないのだろう。寺山(「母のない子のように」)と若松がどうシンクロするのかという興味深い処もスルーされ、ママに電話して自殺、とはまるで非若松的であり、そこから逆に若松が切られる訳でもない。彼女の彼氏が地味なのも弱く(北海道旅行はアリバイ作りに見える)、この辺り遺族への配慮があったに違いなく突っ込み不足で生温い。門脇の地味な造形は好感度大だが、彼女が脱がないのはそんなんでいいのかと思わされるし、だいたい若松映画なのに美人過ぎる。

そして彼女の件は、若松プロの回想、パレスチナへ行って『PFLP』撮って全国キャラバンだぜ、という意気揚々たる作品の収束にまるでリンクしない。そもそもさせようともしていない。どちらが描きたかったのか、と問えばどちらもだ、と応えられるのだろうか。そしてありがちなことに、どちらも中途半端である。

天使の恍惚』の予告である最後の科白「交番爆破しますよ」は、若松のキャラを刻み付けてはいるだろう。気分は判る。しかし内実が伴わない。この頃すでに始まっていた新左翼の凋落について、映画は何も語ろうとしない。まるで交番爆破と赤バスによる新左翼活動でもって本邦の未来が拓かれたかのようなのだ。こんな、誰にでも判る嘘はいかんだろう。パレスチナ問題の解決に向けても『PFLP』な収束はマイナスでしかない。

若松はその後、『われに撃つ用意あり』や『実録・連合赤軍』で、新左翼の凋落と真摯に向き合ったのであり、その身の処し方こそが偉かったのだと思う。本作はそこに向き合おうとしない。いったい、本作は誰に向けてつくられた映画なのか。いまだに新左翼シンパな老人向けなのだろうか。これでは冒頭の対話、ジャミラは偉い、好事家だけに映画見せても駄目だ、という科白が天に吐いた唾として、そのまま本作に帰ってくるのは必定である。

冒頭から登場し、門脇との別れが印象的だった、マント羽織ったタモト清嵐の再登場に際して何のドラマも求めないのも演出放棄の意味不明。その後のビル屋上におけるパーティの件が全然撮れていないのも幻滅させられる。この件と冒頭に二度、立小便のシーンがあるが、こんな退屈なショットで若松プロの時代への異議申し立ては表現されるのだろうか。こんなこと、馬鹿サラリーマンなら誰でもやるではないか。

こうなると著名人羅列もダサいばかり。肺活量のない井浦新の若松は声帯模写の冗談のようだし、足立は山本浩司によって揶揄われているように見える。最悪なのは腹の出た監督本人の緊張感皆無な三島演説(このメイキングを劇場で流す神経もどうかしている)、総じて内輪の冗談に付き合わされた感想が残る。緊張感のない若松プロなど潰してしまえばいいのにと思う。

(評価:★2)

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