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[コメント] 鈴木家の嘘(2018/日)

木竜麻生がどんどんどんどん魅力のない娘に見えてくるだけの映画。これでは俳優が可哀想。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







三島由紀夫は映画で最も大切なのは一貫性であると説いている。私は三島が嫌いだがこの説は真っ当だと思う。本作が駄目なのは一貫性がないからである。

序中盤、私はてっきりブラックユーモアの作品なんだと思っていた。冒頭、加瀬亮の唐突に反転する縊死のショットや、原日出子がパン咥えて昏睡から覚醒するのはブラックユーモアに見える。「お兄ちゃんはアルゼンチンに行った」のドタバタもそうだし、岸部一徳のソープ嬢への遺産相続も(大して面白くないが)そうだ。

この途中までの、ブラックユーモアの線でシニカルに突き進めば、ブニュエルばり、ハケネばりの奇怪な映画になったのじゃないかと思う。しかし映画はここからなんと、家族の再生を語り始める。何かもうひと捻りあるだとうと信じていた原日出子の記憶喪失はあっさり治り、彼女のハッピーバースディの連呼がメロウに響きはじめ、自殺の反復と店屋物囲んだ家族の自虐合戦、泣きの泪の愁嘆場に至る。これは、無理筋というものである。誰が愁嘆場に至る『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を観たがるだろうか(逆コースなら大いにアリだとは思うが)。

シニックをユーモアに変換したいのだろう。意図は判る。しかし製作者の演出力は無理筋を押し通す腕力を決定的に欠いている。

木竜麻生の造形については、回想の組立てが酷い。「お兄ちゃん死んだら」と詰る決定的な件をなぜ終盤に持ってくるのか。小出しにされてきた性格の悪さが終盤に暴露された具合で、私はこの富美というロクデナシの人物に真剣に腹が立った。続いて彼女は川に身投げをしようとするのだが、この悪魔は死んで当然とすら思った(引き籠っていたはずの原日出子がここに突然登場するのは何故なんだ。こうなるともうずっこけギャグのレベルである)。そんなことなら、ブラックユーモアなどどうでもいいから、序盤から時系列通りにこれを描いて、観客と共に木竜の再生を追いかける、というフツーの作品にした方がどれだけ良かったか知れない。

細部も演出の手抜かりが多過ぎる。岸本加世子は蕎麦屋で喜劇的に絶叫するのだが、フレームの奥に座っている三人連れの相客がこれにまるで反応しないのが何故なのか判らない。冒頭の事件の際、原日出子の聴いていたラジオはいつ消されたのか判らないし、狭山あたりの場所設定なのにソープのモニターで名古屋のローカルCFがかかっているのは何故なのか判らない。こういう手落ちが積み重なると真剣に観ているのがホトホト厭になる。撮影美術もこれに見合って凡庸。蝙蝠と霊魂の関連がまるで面白くないのは蝙蝠が撮れていないからだ。

いつも似たような役なのに、加齢とともに破壊的な味を加え続ける見事な岸部一徳だけは褒め称えたい。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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