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[コメント] 家族を想うとき(2019/英=仏=ベルギー)

偉大なる喜劇作家ローチ
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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いわゆる良心的企画は九分九厘凡作と決まっている。なぜローチばかりがこのジャンルで傑作を物すのか。作劇の発想が凡百の感動モノとまるで違うのではないか。これは悲劇でなく喜劇の演出ではなかろうか。

典型的には奥さんの、病院における運送会社社長への電話での啖呵。『ダニエル・ブレイク』が反復される。これは喜劇の方法だろう。入墨父ちゃんを敵役にして、彼のパンチを許さない頭の回転と良識を作劇は喜劇的に成立させている。

父の泣訴に対するあの社長の、とつぜん始まる自社自慢がすごい。これもギャグだ。こういう不思議ちゃんが大人になったような者が成功する世界というのがあるのだ。笑うに笑えない件だった。

そして鍵隠す娘の嘘の理由がいい。父ちゃんが会社にいかなければ元の家族に戻れると。このグレタ・トゥーンベリによく似た娘は、勤め先の運送会社など消えてなくなれと云っているのだ。これは狂笑を誘うジョークでもある。

事情のリアリティの分厚さも素晴らしい。奥さんが鼻に塗るのは嗅覚をマヒさせるクリームで、下の世話に必須なのだろう。母親がバス停で携帯電話での言い合いを終えた後、通りすがりのお婆さんが声をかける件が心に残る。他人の不幸とはこのような時に偶然にしか出会えないものだ。あと、印象的だったのは、娘が夜中の階段に見る家族写真への×印の連鎖。扉を開けると同じ黒の闇が外に広がっている。この恐怖。演出の瞬発力は喜怒哀楽いずれも爆発的なものがある。それはラストに結実している。

そして最良の件は父娘の配達の描写だった。この愉しい親子の一日は何物にも代えがたい。一生と引き換えにしても得たい一日、という気がする。

ケス』や『レディバード』の記憶が遠いのだが、当時から作風は一貫していたように思う。喜劇と書いて連想されるのはチャップリンだ。両者は似ていたり違ったりするだろうが、共通するのは主人公の尊厳の尊重だ。ローチの是枝監督との対談を写しておきたい。「弱い立場にいる人を単なる被害者として描くことはしない。それこそまさに特権階級が望むことだから。彼らは貧困者の物語が大好きで、チャリティに寄付し涙を流したがる。でも最も嫌うのは弱者が力を持つこと。だからこそ映画を通し、普通の人たちの持つ力を示すことに努めてきた」ローチの喜劇の本質は反撃にあるのかも知れない。

以下は個人的な感慨。本邦で90年代、非正規制度がバラ色の未来を保証するように議論されたのを覚えている。あれから四半世紀、私の元の職場含め非正規の比率が増加し続けた。見事に騙されたものだ。バブル期のあの頃は不思議と、下層社会のことなど誰の視野からも消えていて、日本人はみんなブルジョアみたいに思っていたのだ。よく覚えているのは筒井康隆が「誰がパンを焼くのか」という講演をしたこと。3K職場をもう日本人は志望せず、ブラジル人など外国人しか呼べないだろう、と真剣に議論されたのだ。そんななか、非正規はもっぱら自由時間が保証される、今の高プロ制度みたいに考えられていた。そうしないと国際競争に負ける、というのが評論家の主張だった。だから日本だけでなくイギリスにも同じ非正規制度があるのだろう。資本主義の負のスパイラルがここにもある。

(評価:★5)

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