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[コメント] 幸福の限界(1948/日)

原節子らしからぬフェミニズム作として有名だが、思えば母親役の田村秋子からして戦前にスキャンダラス(!)なイプセンなどの新劇運動からキャリアを始めている。近代演劇とは即ち女性解放運動であり、本作はその基本に立ち帰る作品と思われる。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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だから田村が「私は女として幸せだったでしょうか」と娘の原に感化されて自分も(ノラのように)家出する展開も、さもありなんと思わされる。ここに驚きがあるのが本作最大の美点で、田村の造形のほうが原より主題を掴んでいるように見えた。父親の小杉勇が原に「芝居なんてロクでもない」と怒るのも、貴方が云うのかという可笑しみがある。

原の造形は煮詰まらず、これはもう原作者の「限界」が感じられる。ついには劇作家の藤田進の書き損じの紙屑拾って「女には幸福の限界がある」なんていうラストなど今から見れば生温いが、しかしこういう漸進過程があったのだという記録として見れば興味深いものだ。包容力のある藤田との年齢差があったから成立した物語という気もする。

「処女なんて邪魔なだけ」「私を傷物にして下さらない」なんて原の科白は当時は刺戟的だっただろう。原生誕100周年のアーカイブで観たが、客席から笑いは起きなかった。無論、「女は結婚して体が落ち着くと心も落ち着くのよ」と語り、再婚を急ぐ姉の市川春代の生き方が古びた訳でもなかろう。撮影は藤田と原の夜中のデートが面白いがそのくらい平凡。

(評価:★4)

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