[コメント] リラの門(1957/仏=伊)
下町の子供たちの寸劇が本作の白眉。アンリ・ビダルの逃亡劇が、カフェで読みあげられる新聞記事とシンクロしつつ路上で再現される。これが箆棒に面白い。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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子供たちがジョルジュ・ブラッサンスの宿に侵入してギターみつけて「洗濯女は」と歌い始めるのも爆笑もの。クレールらしからぬ、やさぐれたユーモア、という感想でいいのだろうか。
一方、大人たちの物語はイマイチ。なぜ犯人を匿うのか、動機がはげしく問われる処だが、そこにもうひとつの説得力がない。「人を売るのは趣味じゃない」という科白があるが相手は犯罪人だ。警察と殺人犯を天秤にかけて、殺人犯のほうが酷いという科白がある。殺人犯と比較しなければならないほど、フランスでは警察は信用されていない、ということなのだろう。これは69年に向けて重要な背景と思われる。劇中も警官たちは、非情な制服組でしかない。
犯人は結局、女を利用して金を巻き上げ、女を捨てる。「彼女のためさ。勉強になっただろう」という捨て台詞は非情だが、何とはなくの説得力があった。フォアグラの缶詰って本当にあるのだろうか。
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