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[コメント] 男はつらいよ 寅次郎夢枕(1972/日)

八千草薫田中絹代の分身ではなかったか。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







田中絹代を寅が訪ねる件、話は一見ここだけ独立していて、他の逸話との関連がないのだが、ここがとても不思議だ。

ギャグでもないのにヴィヴァルディの「秋」が流れるなか、小津調に捉えられた田園のなかの土蔵の並ぶ旧庄屋と思しき大きな民家に寅が入ると、次のシーンでは絹代に歓待されている。土間に腰かけるだけで上がらせて貰える訳ではないが食事が振る舞われている。会話の中身からすると、ふたりは初対面らしい。絹代は昔世話してこの家で死んだテキ屋の話をし、寅は彼を知っていると応える。ふたりで墓参し、夕暮れに別れる。寅の上着の裾が風に棚引いている。

これはいったい何なのだろう。テキ屋風情がぶらりと立ち寄ってなぜ歓待されるのかが判らない。テキ屋仲間であそこは親切な家だという周知があるのだろうか。それとも何か別の意味があるのだろうか。あのような大きな家に絹代はどうやら一人暮らしのようだが、それも何か不自然で、絹代のあの、とてもよく通る声だけが広い家に響いている。まるで彼女が何かの亡霊のように思われてくる。

撮影もここだけ喜劇調を排して松竹正調の侘び寂びの世界。ここに至る前半はいつもにも増した結婚への同調圧力話なのだが、こんな具合に亡霊と話ができる寅のほうが、本当はすごい人なのではないかと思えてくる。この主張はシリーズの基調低音だが、この件はこれがひときわ強く聞こえてくる。

して八千草薫だが、絹代に似ている。絹代の件だけが余りにも孤立しているので、どうしても全体との連関を探す気分にさせられ、すると古風な顔立ちとよく通る声がそっくりだとなる。倍賞千恵子と辣韭姉妹とネタにされるのだが、他にも似た人がいたでしょうという謎かけに思われる。既に可愛いおばちゃん(当時40歳)だし、背の低さ(倍賞と何度も比較される)、ひとり暮らしという設定も絹代に似ている。

そして、「江戸川沿い」の住人としてはあり得ないことに、寅と一緒になりたいと正面きって語る。ここにきて、八千草も絹代と同じく、あちら側の世界の亡霊、天使なのだ、と判明する。一人暮らしを訪ね、墓に参ってくれた寅の善行に報いるために、絹代は八千草に憑依したに違いない。こんなの、深読みのし過ぎだとは思うが、そのように捉えると俄然面白いのである。「夢枕」なるタイトルもこの強引な解釈を支援してくれている、気がする。

寅の恋の仲介も相手からの告白も、前面に出るのははじめて(前者は『フーテンの寅』の春川ますみ、後者は『寅次郎恋歌』の池内淳子の先例はあるが)。うわあ、シリーズ打ち切れねえなあと捻り出したアイディアは秀逸で、本作はシリーズ初の観客動員200万人突破作。当時良作と評判を呼んだのだろう。

お決まりの禁句ギャグ(ここでは「息子」)もいい。車家はすでにカラーテレビが置かれてあり、今だ機関車の走る田舎町との対照は記録するに足る細部だ(もちろん、この当時、テレビ放送はまだ全国に行き届いていない)。前半の、寅の趣味は旅行というギャグも好きだ。米倉斉加年はもうひとつ冴えず残念。好きだとばかり書かれたレポート提出のギャグが面白いのは『シャイニング』との類似があるからで、単体では平凡。最後は八千草と結婚するのかと思ったが、放り出されたままで終わるののはちょっと気の毒、しかし八千草の寅への想いが強調されたラストということなのだろう。

あの八千草薫が、子供の頃の寝小便の話をされるから寅に会うのが厭だったと笑い転げるのがすごい。主演女優の滅多にない笑顔が見れるのが、この喜劇シリーズの美味しい処。本作のベストショットは当然、シリーズの決まり事を宙吊りにする緊迫感溢れた告白の件における、彼女が欄干を指でなぞるカット。渥美清がへたり込むショットも忘れ難い。

(評価:★4)

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