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[コメント] 二百三高地(1980/日)

当時、さだまさしと(『連合艦隊』で「群青」を唄った)谷村新司をボロカスに貶したのはタモリだった。実に良識ある行動だったと思う。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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スタートからして珍奇。ロシアが日本本土まで攻めてくるから、日露戦争は防衛戦争だと云うのだ。映画はこの珍説を政府ではなく路上の悲憤慷慨した男に叫ばせている。反証をかわすための云い逃れだろう。本作で植民地化された中国人は(冒頭の通訳以外)ひとりも出てこない。客観的な叙述はただの見せかけで、土台が偏向している。

最悪なのはさだまさし。「防人の詩」って、そこは中国じゃないの。上記の珍説に賛同している訳だ。子供をコーラスに使ったりしてして気持ちが悪いし、歌詞並べる字幕がおどろおどろしい。洗脳系か。

やたら兵隊の死ぬ映画であるが、あおい輝彦の「戦争ですから」発言と相まって、ここまで繰り返されると無感覚にさせられるものがあり(別に本作独自の方法ではないけど)、観客の感覚は鈍麻し、ああ戦争だから仕方ないよな、となってしまう。

当時日本軍が国際法を遵守していたのは史実。あおいが捕虜を殺しかける件は、彼のような知的な男が国際法を無視するに至ってしまうのが戦争だ、という意味なのだろうが、その結果が第二次大戦の日本軍の国際法無視の無茶苦茶なのであり、これでは映画はあの無茶苦茶を肯定した具合ではないか。何を考えているのだろう。

描写は不徹底ではないか、とも思う。血の混じった飯と、弾が尽きてロシア兵と投石合戦になる件にインパクトがあるぐらいで、あとは人海戦術と美術に金かけたのが判るだけで何ということもない。当時の戦記小説(題名は忘れてしまった)で、二百三高地では味方の死体を踏みつけて進軍したというのを読んだことがあり、その酷さに慄然とさせられたことがある。映画の描写は軽すぎる。

笠原については、任侠映画の叙事詩的な悲劇を否定して泥臭いやくざ映画を作り上げた彼が、結局は源平合戦みたいな古典的かつ平凡な悲劇に回帰してしまった訳で、麒麟も老いては、と呟きたくなる。エッセイでは天皇批判などする割りに本作に盛り込めない様はうら哀しいものがある。愚連隊の佐藤允が結局は大人しく画面に収まってしまう辺りの味気無さはどうだ。ラストは三船敏郎仲代達矢の名コンビの無駄遣い(ここは岡田社長の創作らしいが)。

なお、仲代より丹波哲郎(彼が涙を見せる演技は上手い)のほうが名将に見えるのは、Wikiによれば司馬遼太郎説で未確定とのこと。伊藤博文(森繁久彌)も児玉源太郎(丹波)も乃木(仲代)も長州閥であるのは個人的に発見。この体制がその後突き上げられる訳ね。

考証は精緻なのだろうが、小学校教師だったあおいが入隊後いきなり少尉になるのは不思議。第二次大戦の頃ならこれは士官学校卒のコースだが、明治の頃はこんなだったのだろうか。よく指揮が取れるものである。あおいが読んだというトルストイは「戦争と平和」なのか「懺悔」以降の作品なのか、ちょっと気になる。あおいが黒板に書き残す「美しい国」の件は予見的で(未亡人夏目雅子は「美しい日本」の隣に「美しいロシア」と書きかけて書けない)、安倍首相は本作を観ているのだろうか。

(評価:★1)

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