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[コメント] 惑星ソラリス(1972/露)

脅迫的に回帰する記憶という主題をタルコフスキーはここで掴み、最後まで放さなかった。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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散乱した宇宙船内部はソ連の重厚長大産業の隠喩(ロン・ハワードは『アポロ13』で本作を意識しただろう)であり、ほとんど発狂してトルストイの人類愛を語るに至るドナータス・バニオニスは、共産主義下で抑圧されたロシア正教を代弁しているだろう。科学が抑圧する人間性、とはまるで漫画のような話なのだが、切実な時代背景が有無を云わせない。よくぞ撮ったものだと思う。

ハリウッドの壮大リアリズム志向と真逆な、児戯溢れるSF意匠は『月世界旅行』以来の映画の伝統であり、同時代では『華氏451』などと指向を同じうしていた(未来都市赤坂見附の立体交差の借景をクロサワは絶賛していた)。妻と母と犬、宇宙船への家族の侵入という作劇が、近年のハリウッド女優たちのジェンダーを捨てた宇宙任務参加と対立しているのも興味深い。

クローン人間のテーマは今やありふれているが、本作は映画史上ほとんど嚆矢だろう。ナタリヤ・ボンダルチュクはジュラルミンの扉をぶち破り、バニオニスと室内を30秒だけ遊泳し、毒を飲んで痙攣する。復活する際の残酷な機械音。どれも哀切極まりない。能の亡霊に近似しているが別の世界がある。恋愛映画と限定して観ても最高の作品と思う。後発の複製人間ものは本作を基準として撮られなければならないというハンデを背負った。

キリスト教的な世界観にとっては、複製のナタリヤが「人間になるわ」と涙を流すとき、神の被造物としての人間性は根底を揺るがされているだろう。父もまたクローンと知るラストも秀逸(あの雨漏りを受けて煙を上げる背中)。バニオニスは地球と間違えてソラリスの海に降り立ったのか、それとも元々、冒頭シーンから父はクローンで地球上もまたソラリスの海だったのか、いずれとも解釈できるが、どちらでもいいのだろうと思う。私は後者を取りたい。

シャンデリアの硝子が触れあいグラスが卓上を転がる微かな音の連鎖。脈絡なく路上に現れる少年。唐突な幼年期の回想。宗教的狂人。タルコフスキーの世界は本作で完成している。『』以降はこれらが縦横に使われ難解になるが、本作ではそれらはまだ物語のしかるべき位置に収まっている。この後の作品は全て本作から発しているように観える。

(評価:★5)

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