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[コメント] 真夜中のカーボーイ(1969/米)

逸れ者のさらに下層にLGBTを配して見事にスベっており、21世紀の鑑賞に耐えない。
寒山

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ジョン・ボイドに迫る前半の貧乏眼鏡君と後半の金満親爺でもって、ここまでゲイを腐した映画も珍しいだろう。せめて彼等はジョン・ボイドと同類だというニュアンスがあれば救われた処だが、ただの「変態」として扱われる。ボイドの逸れ者の詠嘆が贅沢に見えるのであり、これではいかんだろう。いまや風俗史の価値しかないと見える。

フロイト流の無意識の回想や願望の断片は同年の『イージー・ライダー』でも見られた手法(もちろん『アンダルシアの犬』以来の、映画とともに古い方法だ)だが、その内容は『8 1/2』と随分と被っており、たっぷり描いたフェリーニと比較すれば弱いし、アメリカらしい精神分析ブームだなあという以上のものがない。興味深いのはボイドが幼少時に再洗礼を施された記憶を苦いものとして回想するショットで、中西部のキリスト教再興を恐れているニュアンスが感じられるのがニューシネマらしいのだが、しかし一方、サイケブームを揶揄する描写は保守的に過ぎる。まあ、アメリカ人のLGBT嫌いは旧約聖書に書いてあるからってことなんだろうから、背伸びしてみたものの結局保守的な発想の映画として一貫している、ということなんだろう。

褒め処は、NYに幻滅したテキサス出のボイドが、NYでフロリダを夢見るダスティン・ホフマンの運命をあらかじめ知っている、という幻滅の連鎖の作劇だろう。しかしボイドはたっぷり描かれるのに対して、ホフマンにいまひとつの深みがなく、平面的に留まってしまっている。ホフマンの鼠男の造形は立派だが、それに見合うものがない。靴みがきの親父がどうしたと語られるぐらいで、なぜホフマンは職につこうとしないのかすらよく判らないのだ。ハリウッド村ではこのキャラは新しかったのだろうが、文藝全般の歴史から云えば別に珍しくもないのである。ニルソンもくどい。

(評価:★2)

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