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[コメント] 無防備都市(1945/伊)

劇映画である屋内と即物的な屋外。始祖鳥としての元祖ネオリアリスモ。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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本作、ネオリアリスモ作として期待して観ると肩すかしを喰うことになる。例えばちょくちょく挟まれるユーモア。パン屋襲撃を見逃す巡査や、アルド・ファブリーツィの神父がフライパンで饒舌な老人を気絶させる件、裸婦像と聖像を引き放す件などだ。ユーモアはリアリズムを増すものだという映画文法を制作側が墨守しているように見えるが全然効果を上げていない。

セットを含む室内撮影が大半を占めるのも、町の惨状が記録される『戦火のかなた』や『ドイツ零年』と比べると衝撃度に劣る。闇市場から調達した生フィルムでぶつ切りに撮り継がれたのだから、ドキュメンタリーとしての側面が削がれたのはやむを得ないのだろう。

むしろ、出演の大半が素人俳優だったり、ロケ撮影が大半だったりという方法は、後付けで評価されたもので、撮影現場の制作者にとっては妥協の産物だったに違いない。こんなのでいいのかと半信半疑ながら、事実(本作の挿話は全て事実と云われる)を記録せねばならないという性急な熱意が勝った作品だ。必要は発明の母、と思う。

本作の見所もふたつに分裂している。室内で展開されるのは、脚本に制御された折り重なる人物像であり、上記のような無駄が多いのも確かだが、アンナ・マニャーニ、ダンサーのマリア・ミキ、婦人将校ジョアンナ・ガレッティという3人の女の生き様の印象深い対照などは、旧来の劇映画の方法による成果だろう(途中で死んでしまう主演女優という方法は画期的で、『サイコ』にも影響を与えたに違いない)。他方、屋外はアンナと神父アルド・ファブリーツィの殺害を描く、これぞ元祖ネオリアリスモの壮絶な描写がある。後世は後者を画期的と評した。

だから、ネオリアリスモの方法は本作単体でもって華々しく登場したのではなく、本作に対する批評でもって純化されていったのが判る。例えばロッセリーニの影響を公言するゴダールの冴えまくるブラックユーモアは、本作の下手糞なユーモアの批評だろう。その上で観れば、これは間違いなく戦後に撮られる全ての絶望映画に指標を与えた作品である。本作で伝えられた事実の重さは消えることがなく、現在でも後発映画の軽重を判断する基準となっている。この点だけでも、歴史に選ばれた作品と思う。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)ぽんしゅう[*] 3819695[*] ゑぎ けにろん[*]

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