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[コメント] 恥(1968/スウェーデン)

想像された内戦は我々には神と悪魔より切実であり、非キリスト教圏の観客は本作である意味始めてベルイマンに出会うのではないか。具体性を帯びた悪夢の連鎖は次第に喜劇じみてついには宙に放り出される。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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緩慢な対話劇を切り裂くように始まる戦闘シーンが抜群。観客が予想する寸前のタイミングで爆裂は続く。地を這うような爆裂の連鎖はとてもリアル(低予算らしい)。車での逃走劇はゴダール諸作と呼応している。

挟まれる断片の切れ味がまた素晴らしい。リヴ・ウルマンがバスト丸見せのファーストカットからして気合いが違う。切るとベルが鳴る電話、「上着を忘れた」の繰り返し、間抜けなタイミングでエンストが直る車、夕闇に滲むヘッドライト、拷問後にブラックユーモアを振りまくとんでもない医師(この寸劇はベストの出来)、市長の金は「どこに隠したの?」「隠していない」「じゃ、どこ」でポケットから出すマックス・フォン・シドー。彼はなんで途中から眼鏡を外すのだろう。

物語は夫婦の引き合ったり離れたりを反復し、市長との三角関係や脱走兵の殺害で夫婦間に政治が持ち込まれる。突然机をステッキでぶっ叩く市長の件がすごいし、喜劇的なフォン・シドーの市長銃殺もすごい。政治が投入されると夫婦とはこれほど脆いものなのかとの詠嘆が導かれ、奇妙なラストへ流れ込む。「他人の悪夢に出演している気がするわ」。

ベルイマン曰く「私はこの作品で、信仰もなく政治的な信念もなく自分をよくしようとも思わぬ人々を描いた。ところがほとんどの人間がそういった人びとなのだ。彼らは時流に流されて生き、ある日突然まわりから圧力を受けて驚くのだ。誰が敵で誰が味方かもわからない。そして最後は汚辱の中で終わる」。この発言はタイトルを的確に説明している。

しかし、寡黙な本作は多義性を受け入れるだろう。ウルマンは全然別の解釈をしている。「戦争になれば敵も味方もないのよ」と庶民の悲惨を語っている。ベルイマンと理解は真逆だが、しかし背中合わせだろう。そして彼女は本作を(ヤン・トロエルの『移民者たち』と並んで)出演したことを誇れる映画だと語っている。

想像された内戦という舞台は、ナチ前夜の史実に足を引っ張られた『蛇の卵』よりずっと優れている。そして本作は68年のチェコ動乱を予言したのであった。

(評価:★5)

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