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[コメント] 最後の誘惑(1988/米)

これほど安手の美術と照明はスコセッシ作でも下の部類だろう、ベルトルッチ『リトル・ブッダ』といい勝負の観ていられないレベル。人間イエスを描くのだから『奇跡の丘』のような高貴な映像はいらないという判断でもあったのだろうか。
寒山拾得

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物語もまた退屈。これは、断片の強度が生産的な聖書世界を理詰めでまとめてしまっている処にあるのではなかろうか。例えばイエスが「剣を持ち込んだ」のは聖書では家族の間であり、トルストイはこれに悩んで「アンナ・カリーニナ」を書いたほどなのだが、本作ではこのフレーズが神殿の商売駆逐の件に挿入されて、常識的になってしまっている。愛・闘争・死と云うことが毎日変わると非難されてイエスが「神は少しずつしか示されないのだ」と応える件も理詰めな解釈で、それではイエスもお困りでしょうと云う処で本作の主題に重なるのだが、矛盾を抱えたイエスの複雑な魅力を平板にしてもいる。

ということで、福音書をなぞる中盤は退屈。興味深いのは聖書をはみ出す箇所で、青年大工イエスが十字架つくっていたという導入はリアルでいい。終盤の脱線は『ふくろうの河』のほとんどパクリ。天使の可愛い娘さんが悪魔だったというのが驚きがあっていいがそのぐらい。このイエスの悩みもまた平板で、それを乗り越えたときに何が示されたのかさっぱり伝わらないのが限界である。ヨハネの洗礼の描写がサイケ・パーティそのままであるのは監督の趣味だろうがこれも安手で限界を感じる。

(評価:★2)

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