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[コメント] 小島の春(1940/日)

純粋な映画的感受性というやつはプロパガンダにコロッと騙される。そのよい実例。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







学生の時観て感激した作品だった。夏川静江が聖者に見えたものだ。腐界にひとり進み入るナウシカみたいに。ハンセン病がキリスト教と切っても切り離せない関係にあるのもこの印象に一役買っていただろう。無知とは救いようのないものだ。後で事実関係を知って吃驚した。あれ以来、私は社会的な文脈を欠いた純粋な映画的感受性というやつを疑うようになった。そんなものはプロパガンダにコロッと騙されるのである。

以下Wiki。「1931年、国際連盟は「らい公衆衛生の原理」と題する著作を発刊し、ハンセン病の早期患者に対しては施設隔離を行わず、外来診療所で大風子油による治療を行うのが望ましいとされ、政策として初めて「治療対策」「脱施設隔離」が打ち出された(ただしその一方で重症の伝染性の強い患者は施設に強制的に隔離する重要性も再確認されている)。」一方、「日本では世界的な動向と逆行するかのように、1931年に強制隔離政策(感染の拡大を防ぐため全患者を療養所に強制的に入所させる政策)が開始された。」なお、「1941年にはアメリカのファジェットにより新薬であるプロミンが使用され、これにより大風子油からプロミンと治療方法が変化しハンセン病は治る病気となった。その後は、隔離政策は徐々に衰退し外来診療が重視されていくことになる。」長くなるから省くが、原作者も現在は批判されている。彼女らは国際情勢を知りながら隔離政策を推進していたのだ。この事実は『あん』の現在まで禍根を残し続けている。

豊田四郎はこの前作は愛国婦人会創設者を描く『奥村五百子』、次作は満蒙開拓を描く『大日向村』を撮っており、時代にどっぷり浸かっている。まだ情報局映画の時代ではなく自らの志向と云われているから、そのような立ち位置だったのだろう。しかし、少なくとも本作ではプロパガンダに積極的な訳ではなく、映像作家として見えたものを残らず記録しようとしている。ここは積極的に評価したいと思う。

もし官憲に撮らされたのなら、こんなラストは選ばないだろう(『泥の河』を思い出したが、意識的な引用なのだろうと想像する)。隔離政策を批判しないまでも、充分に相対化している。菅井一郎は家を離れたくない心情を言葉にして抗弁することができない。理屈でいえば相手側の圧勝だ。しかし、言葉での勝ち負けはそんなに重要なのか。黄金(モノクロだがそう見えるのだ)の麦畑で妻と一緒にうなだれるシーンには、そんな人間の襞の部分が浮かび上がっている。

そこら中に警官が出てくる。先生に同行し隣の島でも会う。ここも印象的で、当時の空気がよく判る(島に医者はいないのに警官がいるというのも考えれば変な話だ)。ハンセン病の統計も警察発表。映画はこの現実から距離を取っており、村長勝見庸太郎の菅井一郎への説得は「警察に強制される前に自分で行ったほうがいい」が決定打になっている。

本作、ハンセン病者をはっきり写さない。この微妙な処がいつまでも引っかかる映画だ。それを配慮と呼ぶべきかどうか、よく判らない(パゾリーニですら『奇跡の丘』で彼等を写さなかった)。一旦お別れしてからいつまでも追いかけてくる中村メイ子の件は本作の白眉で、これだけ独立して記憶に留めたい。子供にはああいう処が確かにある。なぜなんだろう。

(評価:★3)

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