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[コメント] かあちゃん(2001/日)

老いらくの岸惠子の続『約束』ではないのか。『』や『ぼんち』の崑=夏十が平凡な感動篇など物す訳はなかった。
寒山

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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原田龍二の泥棒噺である序盤は落語風味のなかにも緊張感があり、この監督らしいトリッキーな演出に似合っていてとてもいい。元来60分の中篇らしいが、いかなる異同なのだろう。この序盤を追加したなら見事なものだと思う。

中盤は一転、思索を求める作劇になる。岸惠子の博愛精神は奈辺から来るものなのか、漠然とした謎かけがある。落語噺が本来そうであるように、本作は町人文化などまるで賞賛していない。岸一家が戦っているのはうるさ型のご近所衆である。落伍者を岸は助けるが、別に誰でも助ける訳ではないのだと徐々に判明する。

そして黒子の件の発覚でこれらは一気に氷解する一方、ひとかたならぬ混乱が生じる。黒子があるのが死んだ亭主と、大金を与えた尾藤イサオのふたりだけなら、博愛は岸の恋愛感情であったと判りやすい。そこに原田が加わるとどうなのか。岸はこの息子の年齢の男にも恋愛感情を持つのか、それとも三人ともに与えられたのは母性愛なのか。

原田は突然に女の姿を垣間見せた岸に一瞬触れただろう。この禁忌の裂け目を遠ざけるために発した内語が「かあちゃん」であったはずだと思う。岸の博愛は母性愛に整えられる。整えられればそれは世間に受け入れられ、感動を誘うものだ。しかし一瞬見えた裂け目は覆い隠しようがない。

すると母性愛とは一体何なのだろう。世間の通りをよくするための虚構ではないのか。岸惠子のフィルモグラフィーから、この主題は年下のショーケンとの『約束』が直ちに想起される。男である私には一生判らない世界の手触りだけが残った。そして岸は原田を思慕する娘の勝野雅奈恵のために「かあちゃん」に返るのだろう。

尾藤イサオうじきつよしが親子のように似ているのもラストの脈絡からして腑に落ちるものがある。原田は二枚目になったフランキー堺の味があり、丸々太った小沢昭一との対照に得も云われぬ妙味がある。提灯の赤が眩しい、銀残しの撮影もとてもいい。

(評価:★4)

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