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[コメント] ミスター・グッドバーを探して(1977/米)

無自覚な人物を追い続ける無自覚な映画
pori

映画に於いて、送り手の”意思”が一番現れるのは編集であろう。 技巧を凝らした編集は送り手の物語に対する自覚性を濃密に表明する筈であろう。 しかし、この映画。 冒頭の歓楽街の狂騒を切り取るシークエンスと、ラストの強烈にヒロインを突き放した語り口以外はほぼ無作為に見える。 シナリオも”結果として”ヒロインの転落を鮮烈に描き出しているが、受け手がそこをテーマとして受け取れるような作劇場の構造は皆無と思う。 無自覚を表出する方法論としての計算があったのか?偶然なのか?やり逃げ出来れば何かを描ける筈、といった程度の計算だったのではないだろうか? ヒロインと同じように、受け手も全てに無自覚なまま唐突に突き放される。

ダイアンは素晴らしい演技で無自覚を演じるが、個人的にはあの女に夜の男達が寄り付くと思えない。 それ故、送り手の自覚に疑念が沸くのかもしれない。

(評価:★4)

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