[コメント] マリアンヌ(2016/米)
クラシカルな佇まいと誰もが口にしたくなるような作品だが、映画におけるクラシカルとは具体的には30〜50年代あたりの作品群に似ていることを指すのだとしたら、そうした記述を迷わせる部分がこの映画にはある。それはカラーであることでもCGを用いることでもなく、シネスコでありスタンダードの1.33:1の比率の画面を採用していないことである。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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砂嵐の中自動車でのラブシーンの撮り方があれでいいのか、カサブランカでのパーティーにおける暗殺任務を終えた後逃げ出す二人の走らせ方があれでいいのか、最後にマリオン・コティヤールが自決するシーンのロングショットの構図があれでいいのか。どうもこれらがしっくりこない、その原因をすべて画面がシネスコであることに帰結させるのは少々強引だとは思うが、スタンダードかビスタサイズの左右に余白が生じない画面比であったならばもう少しかっこよく決まったと思うのだ(そういえばアルフレッド・ヒッチコックはシネスコを一度も使ったことがない)。
題材と物語がシネスコであることを要請していない。この手の物語は30〜50年代のスタンダードサイズが主流であった時代に語られていたストーリーのはずであり、60年代シネスコが主流となった時代の戦争映画にはマリオン・コティヤールのような女優の居場所はなく、男優が中心となって部隊の活躍を描くようなストーリーの戦争映画が多く見られるようになったと私は記憶している。例えば『ミケランジェロ・プロジェクト』のような映画がシネスコであるのは当然の道理である。私がこの映画で一番優れていると感じたのはブラッド・ピットが監獄に侵入・脱走する一連のシーンだが、ここはまさに60年代戦争映画的な男優だけで構成された部隊によるサスペンス・アクションとしてシネスコであることが求められたからに他ならない。
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