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[コメント] グッド・タイム(2017/米)

NYの裏町をにっちもさっちもいかないまま彷徨する一昼夜の出来事を中心に据えているせいか『アフター・アワーズ』のなかなか醒めない夢の続きを見せられているような熱っぽさがあった。普段は何の接点もない赤の他人同士が思わぬ偶然から人生の岐路を共にしながら、結局何も分かち合うものがないまま袂を別つ末尾のアイロニーは、簡単な言葉では要約できない余韻を残す。
濡れ鼠

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ネオンノワールの名に相応しい深夜の往来/呪術師のアパート/無人の遊園地の走馬灯のような電光の明滅と80年代風シンセ音楽の無機質なグルーブの幸福な結婚。

弟を出所させるために夜のNYを奔走する兄の姿さえ、弟のトラウマの原風景と地続きになった悪夢の一部のように思えてくるのだから不思議なものだ。その空転する粉骨砕身が、結局にいかなる成果にも結び付かず、兄の愚行に加担するよりも施設の世話になったほうがよっぽどいい弟にとって、兄との離別が逆に解放=悪魔祓いの契機になりそうなところが皮肉っぽくてよい。

この映画のパティンソンのむさ苦しい髭面と蓬髪だけで御飯三杯ぐらい軽くいける(髪を偽ブロンドに染めてからはまさにネオンデーモンだ)。彼のキャラは、そのありがたくない注意を引き付けた者とっては、四辻の悪魔と同じくらい忌わしい存在であるが、本人はろくに後先も考えずに迷走を繰り返すばかり。自分だけならまだしも道中を共にする者をことごとく破滅の淵に引きずり込もうとする。おそらく当人にはその自覚がなく、あっても、それは彼の人格そのものなので、今更変えようがない。一面では、それは真に迫った小犯罪者の肖像であるが、タルムードのなかの訓話のような謎めいた深慮が感じられるのは(**)、あるいは、サフディ兄弟の出自と無関係でないからかもしれない。

夜更けに人の家の戸を叩くコニーの存在が天使なのか悪魔なのか最後まで結論を下せないうちに、深夜徘徊のかどで警官に連行されてしまう黒人少女の造形が、年頃の娘のあてどもない欲望の動きを如実に捉えているようで素晴らしかった。指名手配中の自分の姿を見せたくないばかりに、TV画面の前を塞いで強引に未成年の唇を奪おうとする男も男だが、それにくすくす笑いながら応じるあたりが生々しくて。それ以降、クリスタルは、ひとまずコニーのビッチの地位を受け入れるのだが、幼いながらも、見ず知らずの他人の指図に不平ひとつ言わずに従うところなんか、特定の社会層における性関係の承継を反映しているようで興味深かった。個人的にあまりこういうのを映画で見た記憶がなかったので、怖めず臆せず、自分よりはるかに年上の男性(異人種であるだけでなく逃亡中の犯罪者でもある!)と関係を持とうとする黒人少女の姿勢が新鮮でした。両親でなく母側の祖母(移民第一世代←これ重要)と二人きりで暮らしているところ。スマホが唯一の世界の窓で、夜更かしの常習者。もちろん勉強なんか興味なく、一晩中つけっぱなしのTVの明るいモニターの前で千載一遇の機会を待ち続けるしか能がない。換言すれば、夕方から起き出してきて毎週末ナイトクラブに入り浸るような夜行性女子の一つの典型。。。

導入と終幕で円環されるニックの心理療法の光景は(この入れ子構造からも、コニーの一件=悪夢説***は可能だと思う)、タルコフスキーやアピチャッポンによる同様のくだりの後継者の名に恥じない感動的な場面である。

8.5/10

** 監督のジョシュは、あるインタビューで、それを<犯罪の形而上学>と呼んで、主人公のコニーの行動原理と、ポスト=ルーズベルトのアメリカの外交政策の間にパラレルを見ているようなことを発言しています。

*** もちろん、それは、コニーの<オデュッセイア>が実在しないことを意味しない。そうではなくて、「響きと怒り」における白痴 のベンジャミンと同じ機能を果たすニックにとって、兄の存在そのものが、なかなか醒めない悪夢のような位置づけにあるということ。それは、本作の他の登場人物(コリー、クリスタル、バディ、アブディ)にとっても同様である。彼らの人生は、餓鬼道まっしぐらのコニーの邁進によってことごとく蹂躙されるわけだ。願わくは、前世が犬だったというコニーが、再び人間に生まれ変わる時が来ることを

(評価:★4)

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