[コメント] THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(1997/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
一 エヴァを楽しむための3つのこと
この映画を楽しむためにいくつか前提が必要です。
1 予備知識があること
人類補完計画や使徒など わかってる前提で進みます。
2 作品の背景を知ること
TVシリーズを見ただけでは理解できません。 キリスト教の構造や神話の類型などを取り入れているからです。
また誤解されますが これらはハッタリで使われている訳ではありません。 罪と罰 自意識と不安 母性と救済といったテーマに絡めて内容のある使われ方をしています。 ( とは言えエヴァの面白さの核は演出です。だから最大の効果は演出にあります。)
*(考察サイトは山のようにありますが 「エヴァンゲリオンを1.5倍ぐらい楽しくする動画」 が 分かりやすいです。閲覧者のコメントが理解を補ってくれます)
3 自分が嫌いで生き苦しかった経験があること
宮崎駿さんはエヴァを「病気の人間が病気の人間に向けて作ったもの」 と言いました。 その通りだと思います。
テレビ版では世界観 演出 設定 作品構造など至る所に暗示的な情報を散りばめ 意識的 / 無意識的に あるいは言語的 / 感覚的に 鑑賞者を刺激してきましたが 劇場版ではイメージの渦となって より情感的に訴えてきます。
1と2の前提があっても共感できなければ楽しめないかもしれません。 逆に共感できれば知識がなく何が起こっているかわからなくても大丈夫です。 感じるものがあるはずです。
二 作家論
エヴァは監督の内面そのものです。 オタク批判と言う人もいますが彼が一番嫌っているのは自分自身です。 実際『式日』(2000)で自己言及しています。
ところでガンダムの富野さん エヴァの庵野さん ジブリの宮崎さん (後で取り上げます)は作家性の強い監督です。
『Vガンダム』(1993-1994)を撮ったあと富野さんは終了した後に5年ほど欝状態になっています。 その影響を受けた庵野さんもTV版のエヴァ(1995-1996)と『Q』(2012)を撮った後に欝になっています。
『旧劇場版』(1997)も病気の自分をエグって創っているので表現が強烈です。 これほど死にたくなる映画はありません。 聖化された「甘美なる死」だからです。
しかし庵野さんは生きることを選びました。
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ラストシーンを振り返ります。
他者と向き合うことを決断したけれども やっぱり出来ない。 「慈愛の手を差し延べ」てくれたアスカにも 自分の感情を露にするだけ。
それに対する回答は「気持ち悪い」ですが 決まりがつかないシンジに対して おかしくない反応です。
拒絶されましたが 「生きる」ことを決意したシンジ=監督は生きていくでしょう。 彼の物語は『式日』に続きます。
本作の一週間前に『もののけ姫』(1997.7.12)が公開されました。 そのメッセージは「生きろ」でした。
庵野さんが鬱状態から身を削り曝け出した選択は「生きる」でした。 表現は違えど方向性は同じものです。
『もののけ姫』は生き死にを摂理として描き それを引き受けた上で 「生きろ」と言いました。
『エヴァ』は生き死にを他者との関わりの問題として描き それを受け止めた上で「生きる」と言いました。
宮崎駿さんは ドキュメンタリー『もののけ姫はこうして生まれた』の中で
「アニメをやる人間は趣味や人生の経験が全部アニメーションに 吸い取られてしまった人間でないといけない」(筆者要約)
と言っています。 その思いは『風立ちぬ』(2013)で監督自身を主人公にしました。(エヴァは全てのキャラクターが庵野監督です。)
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『もののけ姫』も『風立ちぬ』も『Vガンダム』も『エヴァ』も道徳を説いた作品でも「楽しめる」作品でもありません。 しかしそれだけ濃厚です。 こういった純度の高い作品を評価する環境が面白い表現を生む下地となります。 消費者が作家を育て作家が消費者を挑発する環境です。 その為にレビューを書いてはいませんがそうあって欲しいと思います。
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さて『もののけ姫』と『エヴァ』 1997年という時代が求めた2つの傑作です。 是非ご覧ください。
◎映像表現
◎インターミッション(Thanatos)
◎挿入歌(Komm, susser Tod)
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