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[コメント] この世の外へ クラブ進駐軍(2004/日)

これは阪本順治による言葉足らずな反戦映画だ。俺達はこの世の外へ行けたのか?しかし大阪から外へ出たのは正解だったか?
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ラッキーストライクのマークの如く、周囲を囲まれたこの国の我々は50年以上経った今、この世の外へ行けたのか?朝鮮戦争の時と同じように、飲み込まれたまま間接的に戦争に加担しているのではないのか?戦争が銃後の生活にどれだけ影響を及ぼすか忘れてはいないか?

新・仁義なき戦い』(私は未見)以来の阪本順治群衆劇。 絵面の巧さとは裏腹にストーリーテリングはあまり巧くないため、いささか散漫な印象で、各人の描き込みも浅い気もする。しかし、あえて阪本順治を擁護しよう。 おそらく阪本映画最高の制作費を投じたであろう本作は、角川大映との共作のせいなのか、『王の奇観』の大宣伝で松竹の広告宣伝費が底をついたのか、悲しいかなほとんど宣伝もされず扱いも小さい。だからこそ、阪本順治に甘い私が大擁護しようというわけだ。

この作品の中心は「街」なのだ。

焼け野原から闇市が活気を持ちはじめ、次第に復興していく街。 そこに群がる人々を介して、街を、そして時代を切り取っていこうというのが意図であるに違いない。そしてその延長線上に今の我々がいる、彼はそう言いたかったに違いない。 これは郷愁のためでもありきたりの反戦でもなく、今を、そして未来を見据えた「描写」なのだ。

そのせいかどうか知らないが(多分関係ない)、時代を忠実に再現しようとする懸命さが、私にはかえって「上品」に写ってしまった。 もっと猥雑でいい。必死に生きる人々にもっとバイタリティーがあっていい。 なぜJAZZだったのだ?なぜ舞台を関東にしたのだ?大阪を舞台にした映画の時には、バイタリティーある人間の生き様をもっと描けてたじゃないか。 いくら「街」を描こうとも、人間の「活力」が描ききれていないため、観ている者は昇華(消化)不良なのだ。きっと、話が散漫に見えるのはそのせいなのだろう。

なんだ、たいして擁護してねえじゃねえか。

(評価:★3)

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