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[コメント] 原爆の子(1952/日)

新藤兼人の怒りと苦悩。広島出身者として、インディペンデント開拓者として、2つの苦悩が垣間見える。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







昭和27年。戦後7年。広島出身の新藤兼人の想いが詰まっている。

物語の構成としては「主人公があちこち歩いて様々な人に出会いました」という作り。主人公は語り部に徹し、描くべきテーマは出会う人物達に委ねられる。ロードムービーに似ているが、ちょっと違う。ロードムービーには主人公自身の距離的な移動と精神的な移動(成長)が伴う。それを“直線的”と表現するなら、この映画のパターンは“円”である。主人公は元の場所(近い場所)に戻ってくることで、主人公自身よりも周囲の物語を引き立たせる。 このパターン、例えとして適切な映画はないかな?ソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』とか、押井守の『イノセンス』とか。どっちも適切な例ではない。かえって分かりにくいじゃねーか。 こうした作りにしたことで、新藤兼人の怒りや苦悩を声高に叫ばずに、少しクールダウンして提示されているような気がします。

戦後初めて原爆を直接取り上げた映画と言われているそうですが、日本インディペンデント映画の草分け的作品でもあります。 そして新藤兼人の演出には、セミドキュメンタリー的な作りでありながら、彼らしからぬカメラ移動や画面の切り取り方など、しばしば「商業映画的な演出」が残っているのです。むしろ、製作年を考えれば、当時の水準以上に高いレベルの「商業映画的演出」とも言えます。 それも仕方がない。時代も時代ですし、新藤兼人自身まだ2本目くらいの監督作。そしてその師匠は溝口健二なのですから。

当時は、この上なく、とてつもなく、目を背けたくなるような“リアル”な映画だったのかもしれません。たぶん、世間が目を背けていたからこそ、新藤兼人は作る気になったのでしょう。今観ても当時の“リアル”を痛いほど感じられます。 私が深く感じ入ったのは、今でこそ「忘れるな」「風化させるな」と言われますが(それは間違いじゃない)、当時の当事者は「もう忘れた(忘れたい)」と言うんですね。それがリアル。

ただ、一番興味深かったのは、一つ画面に、乙羽信子と宇野重吉と奈良岡朋子が同居したこと。そこを一番面白がっちゃったことを正直に告白します。

(15.08.10 CSにて鑑賞)

(評価:★4)

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