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[コメント] 昼顔(1966/仏)

ブニュエルが与える幻想と、『昼顔』のドヌーヴに持つ我々の幻想
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







江國香織の「間宮兄弟」の中でこんなクダリがある。

間宮弟の理想の女性は『昼顔』のドヌーヴだといったようなことに触れ、後々、人妻に恋をした時にこう書かれている。

[ごくあっさりと化粧の施された顔は、孤独の色が濃かった。翳のある女。『昼顔』のドヌーヴみたいに。]

そう。『昼顔』のドヌーヴは我々が抱く幻想なのだ。そうに違いない。だから『昼顔』のドヌーヴを観なければならない。 そう思ってDVDを借りた。(どうしてだ?)

約20年ぶりに再鑑賞。 俺はやっぱりブニュエルが好きだ。大好きだ(その割に5点つけてる作品はほとんど無いのだが)。

この映画、全編「ブニュエル節」で彩られた、実にブニュエル翁らしいブニュエル映画だと思う。 だいたいさあ、ジョゼフ・ケッセルの原作はどんなだか知らんが(「昼顔」を日本で最初に翻訳したのは堀口大学らしい)、おそらく相手の男どもはこんな変態趣味じゃないだろうよ。知らんけど。

サド、マゾ、死体愛好癖。これらは『小間使いの日記』などでも見受けられるが、パゾリーニのような「オエッ!」感が薄いのは、ブニュエルのスタンスが「そんなたいしたこっちゃないっしょ。誰だって大なり小なり何かのフェチとかあるっしょ。」というポジションで見ているからではないだろうか。冷やかというよりも、少し「笑い」のネタ視点で。

この映画の凄い所は、ずーっと“肉体”を巡るSM嗜好なのだが、最後の最後、フッと“精神”的SMに至るんですね。ある種、高みに至ると言ってもいい。 肉体を巡る“清楚”と“背徳”の両極と同じように、最後、精神的な“苦渋”と“開放”の両極が描かれる。あの窓を開けた瞬間の解放感などは圧巻で、こうした高度な映画にも関わらず、現実と空想と回想(少女時代のトラウマ)をないまぜにして煙に巻くんだな、この爺さんは。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)さなぎ[*] 動物園のクマ ジェリー[*]

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