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[コメント] 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン(2007/日)

樹木希林リアルオカン論
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







久しぶりに観たなあ松岡錠司。傑作『トイレの花子さん』以来だからほぼ10年ぶり。 笠松則通のカメラと合わせて実に落ち着いた演出。ベタベタしすぎない点に好感が持てる。 リリー・フランキーの「東京だよおっ母さん」を松岡・松尾が『東京物語』に押し上げた佳作と言える。

原作は読み始めて数ページで鼻白んでやめ、単発ドラマ(田中裕子&大泉洋)もものの30分で、連ドラ(倍賞美津子&もこみち)も1週で「ケッ!」って言ってやめた、私の体質に合わない話。 なんで観に行ったかって?也哉子だったからだよ。その手があったかぁ!と思ったから。 ちなみに舞台にもなるそうで、それは加賀まりこなんだって。

これら3つに共通する点と映画版の大きな違いにお気付きだろうか? 死にゆく母と若かりし頃の母。映画版だけが別人。他は同一人物が演じているのである。

マザコン前提のお話しなので、実際はどうだったかはともかく、若くて綺麗なお母さんがイメージされる。 それは制作者誰もが考えているようで、結果、どっちも演じられる母親役を配置している。

しかし、監督・松岡錠司45歳、脚本・松尾スズキ44歳、ペペロンチーノ39歳、あ、最後のはどうでもいい。この世代の人間にとって、田中裕子や倍賞美津子や加賀まりこはお婆さんじゃない。「死にゆく母」たる存在足り得ない。特に古い邦画を観慣れていると、その若い姿が目に焼きついている。田中裕子なんかリアルタイムで「マー姉ちゃん」から見てるからね。加賀まりこは『月曜日のユカ』だし、倍賞美津子は猪木のヨメさんなんですよ。

ところが樹木希林は違う。悠木千帆の頃からリアルタイムで見ている世代。 彼女はずっとお婆さんだった。もう40年もお婆さんをやっている姿を見続けている。 網膜剥離で片目を失明したことも乳癌の摘出手術をしたことも知っている。 つまり、我々の世代にとって樹木希林はリアルに「オカン」なのだ。松岡錠司にとっても、松尾スズキにとっても、俺にとっても、いや俺は関係ないんだが。 だから也哉子のキャスティングを聞いた時に「その手があったかぁ!」と思ったのだ。 也哉子は決して上手くはないが、昭和のオカンの風格がある。 その母娘キャスティングに、自分自身の、郷愁のオカンとリアルオカンを重ね合わせるのだ。

映画は全編「ボク」視点で描かれる。 途中三度だけ「ボク」の存在しないシーンがあるが、ラジオや電話、あるいは炭坑節♪で「ボク」の声が繋いでいる。 つまり「ボク」の視点こそ監督の視点であり、この映画の根幹なのだ。

実際、松岡錠司は母親を亡くしたそうで、「死に直面した普通人を淡々と描きたい」と思った時にこの原作と出会ったそうだ。既に松尾スズキ脚本で映画化が決まっていた企画(何故松尾スズキだったのかは不明だが)に自ら手を挙げたそうだ。 オダジョー主演・福山主題歌というバリバリF1層のお涙頂戴を狙った会社側の意に反して(狙い通り映画館は若い女性が多かったが)、映画はベタベタしすぎない落ち着きを見せる。 いやまあ、松岡錠司はこういう演出しかできないんだけど。

キャスティングは豪華で、寺島進と光石研が一つ画面に収まっているだけで最高だと思った(<ちょっと頭がオカシイ)

原作を読んだヨメ曰く「誰でも感情移入できるエピソード満載で必ず泣いちゃうんだけど、小説としては二流」とのことで、映画版は「松尾スズキの切り取り方が秀逸」とのこと。ふうん。原作読み直してみようかな。やっぱりいいや。だってリリー・フランキーなんだぜ。

(評価:★4)

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