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[コメント] わたし出すわ(2009/日)

レベルやスキルは高い映画。森田芳光ファンのわたし、擁護するわ。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







落ち着いたカメラワーク。独特の視点で切り取る画面。まるで呼吸するようなテンポで自然に読ませる文字。細かい所まで神経の行き届いた音の使い方。 テクニック的には完璧と言っていい。 (実は光と影は得意ではない。それを逆手に、曇天の函館の空を利用し、最終的に唯一の青空に意味を持たせてしまう。)

映画は静かに幕を開け、早々に静かな映画であることを宣言する。 説明的な描写は極力省略され、逆に画面上描写されていることに意味があることを伝える。 字幕、ストップモーション、カットの繋ぎ方、全てに意味がある。 例えば、回想シーンは無人のまま、文字で見せる「言葉」を強調する。 何故その「言葉」に意味を持たせたのか、この映画の重要な胆である。

(ハル)』以来というオリジナル脚本で、森田芳光は縦横無尽に自身の映像表現の粋を結晶させたのだ。

物語自体も多面的な切り取り方が可能で、示唆に富んでいる。

例えば「言葉」。 高校時代に選びすぎて「言葉」が出て来なかったと言うマヤは、実際、「言葉」を選んでいるような表情を時折見せる。 スッと言葉が出てくるのは冗談を言う時だ。 (おそらく彼女は本音を吐露するのが苦手な人間なのだろう。だから彼女はこういう形でしか“お礼”ができなかったとも考えられる。) そんな彼女に、高校時代にかけてくれた友人達の「言葉」。 あるいは、マヤが母親にかけ続ける「言葉」。 各々が各々の「言葉」を発する。中でも仲村トオルの投げつけるような「言葉」が印象的だ。

例えば「価値観」。 それはもちろん「お金の使途」という形で現れるのだが、劇中「もっと他に選択肢があったでしょう」といった台詞も出てくる。 この映画は、「お金」そのものではなく、「お金の使途」を通じて、我々に「価値観」を問うているのだ。 マヤの友人5名。2勝2敗1分といった結末だろうか。 人生、ちょっとだけ勝ちがあればいい。 小池栄子先生に代表される「分相応の価値観」こそ、現代人に必要なのだと監督は言っているのかもしれない。

森田芳光は時代に鋭敏な感覚を持った監督である。 おそらく、今の時代に撮られるべくして撮った“テーマ”なのだろう。 非常に高いレベルのテーマを、高いスキルで描いた映画と言えるだろう。

だがこの映画には、決定的とも言える致命的な欠陥がある。 ツマラナイんだよ。

(09.11.01 恵比寿ガーデンシネマにて鑑賞)

(評価:★2)

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