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[コメント] パレード(2010/日)

マルチバースとは、打って守って走れるバースのことではない。だってそんなバースはいないからね。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







私のパレード論:その1

「ご覧、パレードが行くよ」と歌ったのは山下達郎だが、学校教育的に正しいパレードとの接し方というものがある。 それは、見る者にとっても参加する者にとっても、楽しく素晴らしい時間・空間であるという価値観である。自分が楽しかったらみんな楽しいでしょという、最も一般的な考え方。ユニ(単一)の価値観。

その2

「嫌ならば出ていけばいいし、ここに居たかったら笑っていればいい」とは本作劇中の台詞。これもまたパレードとの接し方の一つ。 心の底からパレードを楽しんでいるかどうかは分からない。その楽しい空間を壊さぬように接する。背後にあるのは多様な価値観。お互いの腹の中は分からない。ただ、空気を壊さないことだけが最重要。

その3

「退屈なパレードを憎みながらも実は憧れた影男達」と歌ったのは大槻ケンヂ・筋肉少女帯の「パレードの日、影男を秘かに消せ!」。 華やかな空間に憧れながら、そこに自身の身を置けないことで“憎む”というのも、また一つの価値観。 学校教育的な価値観からすれば「楽しいイベントを憎むってどういうこと!?」と理解不能な発想かもしれないが、私個人は最も“腑に落ちる”価値観。だいたいさあ、どいつもこいつも朝から晩まで浅田真央浅田真央うるさいんだよ(<ちょうどバンクーバーオリンピック中)。

この映画で描かれる“人間関係”は、上記その2の人間関係であることは言うまでもないでしょう。 現代的な若者像と言ってしまえばそれまでなのですが、私は“今時の学校の教室”だと思うのです。 河原で殴り合って「なかなかやるな」「お前もな」「ワッハッハ」みたいな、あるいは「あなたを愛してる。愛してるから殺すのよ」みたいな、傷つけ合ったり腹の底から理解し合える人間関係なんて、今時“時代劇”あるいは“SF”なんですよ、たぶん。

この映画の構成はすごくトンガっていて秀逸だと思うのです。 登場人物が各々主人公の短編の集積で、各短編中できちんと主人公の気持ちが動いていて、短編の集積で全体として物語が動いている。そのくせ、終わってみれば、主人公達は何も動いていないんですね。行定絶好調だな。

闖入者=林遣都は、主人公達の世界を壊す悪魔であり、主人公達の心を救う天使なのです。 しかしこの悪魔天使は、鶴の恩返しの鶴のような“主人公を動かす触媒”ではありません。 彼らの“空気感を露にする触媒”なのです。

小出恵介は親の話から都会で初めて出会った友人の話をし、貫地谷しほりは幼なじみとの泥沼の恋愛を続け、香里奈はレイプ同然に父に犯される母の話をする。誰もが過去のしがらみを「心の闇」として抱えている。 唯一、藤原竜也だけが「親知らずを抜く」という行為を以て過去を断ち切ったキャラクターとして存在する。

そして、過去のしがらみを抱えた3人は、「心の闇」を吐露し涙する場所がルームシェアの“外”なんですよ。 唯一、藤原竜也だけが部屋の中で涙を流すんですね。 それは「ここに居たかったら笑っていればいい」というルールを逸脱した、空気を壊す違反行為なのです。 だから、皆が見下すような目で見つめるんです。

これが“今時の学校の教室”だと思うと背筋が寒くなります。 バースがどうとか言ってる段階で“時代劇”なんですよ。

(10.02.27 渋谷シネクイントにて鑑賞)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (9 人)たろ[*] 死ぬまでシネマ[*] 林田乃丞[*] Master[*] shiono[*] しゃけはらす[*] セント[*] けにろん[*]

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