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[コメント] 青春残酷物語(1960/日)

大島渚28歳。『俺たちに明日はない』より7年も早いボニーとクライドの物語。あるいは総括映画の体をとったオイディプス。闘争映画だバカヤロー!
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







新聞紙を背景とした赤い文字のタイトル。学生運動の街頭デモ。28歳の大島渚は闘う姿勢を前面に押し出します。 ほぼ同い年の久我美子に“総括”させ、彼女を育てた上の世代、有体に言えば小津安二郎や木下恵介といった「映画界の父親」世代を糾弾する。久我美子はそのために起用されているに違いない。

ちなみにこの映画の前年の59年、市川崑(当時44歳)は『あなたと私の合言葉 さようなら、今日は』で小津パロディをやっています。「もしも小津映画の主人公が超現代的女性だったら」的な内容で、若尾文子や京マチ子が嫁に行くの行かねーと笑わせます。 当の小津はこの頃57歳で『秋日和』を撮った年。この前年には紫綬褒章を受章し、映画人として初めて日本芸術院賞を受賞したりしている。要するに映画界の権威だったわけです。そして大島渚は権威や権力が大嫌いなのです(後々自分も紫綬褒章をもらうんだけどさ)。

もちろん年齢や世代の違いもあるでしょう。市川崑は小津を皮肉りましたが(後に謝りに行ったそうだ)、大島渚は笑いも無しに闘いを挑む。そう、彼が目論んだのは権威・権力である「父親」殺し。言わばオイディプスなのです。

実は私も分かってなかったのですが、学生運動というと安保闘争のイメージなんですよね。 安保闘争のきっかけは60年の日米安保条約。その後ベトナム戦争の激化なども重なって、東大紛争は68年、佐々敦之『突入せよ!』や若松孝二『実録・連合赤軍』のあさま山荘事件は72年。おそらく多くの人にとって学生運動のイメージはこの辺りだと思うのですが(私はそうでした)、実はこの映画製作以降の出来事なのです。

おそらく劇中で映し出されるデモは、60年安保闘争時のリアルなデモでしょう(たぶんゲリラ撮影)。 では劇中「敗北した」という渡辺文雄や久我美子は何の学生運動だったかというと、その前の話。たぶん1950年前後の全学連の闘争なのです。渡辺文雄の貧乏医者の室内に共産党のポスターが貼ってありますが、日本共産党と行動を共にし、突然の方向転換に裏切られたという紛争の時代があった。おそらく京大生・大島渚がガチ闘争した学生運動だったのです。 大島渚は左翼思想でありながら日本共産党という「権威」も嫌いであったことを思い出し、私の中でそれとこれが繋がりました。

あれ?

私はこの映画における大島渚の視点が「川津祐介&桑野みゆき」の「ボニー&クライド」だと思って観ていたのですが、もしかすると大島渚のポジションは「渡辺文雄&久我美子」なのかもしれません。 そうするとこの映画は、久我美子を責めているのではなく、大島渚自身の「総括」映画にも思えてきます。 「あなた達がうらやましい」という久我美子の言葉は、1960年時点で(後の敗北を知らない時点で)新たな闘争に挑む若者に向けた、大島渚のエールだったのかもしれません。

(19.08.14 神保町シアターにて鑑賞)

(評価:★3)

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