コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 海街diary(2015/日)

なんと神々しい4人の女性たち。樹木希林、大竹しのぶ、風吹ジュン、+キムラ緑子(<素直じゃねーな)
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







本当は中村優子さんも出てるけど、チョイ役だからね。

この映画、満点付けてもいい!ってくらい燃えるシーンが2つあります。

一つは、桜のトンネルでの広瀬すずのアップ。予定外で髪に花びらが付くんですね。カメラは一生懸命それを映さないように頭を切って写そうとするんですが、とうとう諦めて花びらに寄ろうとする。その瞬間花びらが落ちるんです。こうした偶然の産物、計算外の出来事が実写の魅力なんです。

もう一つは七回忌のシーン。短いシーンですが、大竹しのぶと樹木希林のちょっとした台詞回しや仕草で、その背景が透けて見える。役者ってスゲーなって思わせるシーン。本当に神々しい。

この映画は食事シーンが多くあります。しらす丼や梅の実、箸を買うの買わないのって件まであり、確実に“食”に何らかの意味を持たせていると思われます。 映画は、葬式で始まり、法事を挟んで、葬式で終わります。もしかすると“食べる”ことは“生きること”の証として描かれているのかもしれません。周囲や環境が変わっていく中で、人として変わらない営みとして。

私は前作『そして父になる』で、是枝監督を「愛情の距離感を描く作家」かもしれないと評しました。是枝映画の登場人物は(決して積極的ではないけれども)「欠けた愛情の破片」を探し続ける人々なのでしょう。この映画でも、広瀬すずにその役割が与えられます。

しかし私は、どうもこの話がシックリきません。

周囲は皆死んでいく。人々も去っていく。でも私たち四姉妹はこの街で、この家で、変わらず暮らしていく。私にはそういう物語に見えるのです。 そしてそれは、何だか保守的で、若さのない結末に思えてしまったのです。 ドラマツルギーとしては正しいのかもしれません。でも、所謂「女性映画」のそれとは違うような気がするのです。

我々は、特にウチの夫婦は、強い女、悪い女、奔放な女の映画を見過ぎました。最近ウチのヨメなんか木嶋佳苗の本とか読んでるからね。そのうち私も練炭で殺されるかもしれません。そんなことはさておき、そういう女性たちの映画を古今東西たくさん観てきた。ウヒウヒ言いながら観てきた。だから俺、女性に翻弄されるフランス映画とか好きなんだよ。

だから女性映画は、主人公たる女性の“変化”が主題のような気がしているのです。「変化していく女性のエネルギー」というのが正しいのかもしれません。保守的なのは男の方で、そんな男を翻弄して、最後は捨てて、女は成長していく。そういうもんだと思うのです。

いや、もしかすると、時代が変わったのかもしれません。

堕ちていく女を好んだ溝口の時代から(それはそれで女性の変化ですが)、戦後の高度成長期と重なるように、したたかに生き抜く女性が多く描かれる。その変化の兆候はイマヘイの『にっぽん昆虫記』や『赤い殺意』あたりに顕著に見られ、それより一足早く市川崑が『ぼんち』や『黒い十人の女』で強い女を描く。 そうした変遷を経て今がある。もう少し突っ込んで検証したいところですが、時代の変化と呼応するように女性の成長する姿が描かれてきたように思うのです(女性の描写ばかりじゃないけど)。映画は時代と不可分なのです。

そして今、この時代の女性は保守的に描かれた。 周囲は皆死んでいく。人々も去っていく。でもこの街で、この家で、変わらず暮らしていく。そう描かれた。一世代上の母親は街も家も捨てたのに、これからの時代を担うべき少女たちはそうではない。 それはまるで、今の時代、成長が止まったように見えるのです。

そして、私がこの四姉妹にまるで魅力を感じず(元々好みの女優陣じゃないんだけど)、むしろ一世代(二世代?)前の女優陣に魅力を感じたのは、そうした時代感があったのかもしれません。通常、こうした若い世代には「かつて自分が通った道」として共感するのですが、先に述べた理由から、私の知らない全く異次元の人種どもだったのです。

(15.06.28 吉祥寺オデヲンにて鑑賞)

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (5 人)まりな ロープブレーク[*] ペンクロフ[*] セント[*] けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。